大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和58年(う)1035号 判決 1986年7月31日

本籍

三重県名張市安部田二一八番地

住所

大阪市住吉区山之内三丁目九番一二号

医師(前医療法人錦秀会理事長)

藪本秀雄

大正一五年二月八日生

右の者に対する法人税法違反、背任、業務上横領、私文書偽造、同行使、診療放射線技師及び診療エックス線技師法違反被告事件について、昭和五八年四月一三日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人及び弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 高橋哲夫 出席

主文

原判決中、被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。

押収してある看護婦(士)業務従事者届五六枚(当裁判所昭和五八年押第四三一号の二、四、七)及び准看護婦(士)業務従事者届二七〇枚(同号の三、五、六、八、二〇)の各偽造部分を没収する。

昭和五七年四月二二日付起訴状の公訴事実中、第一の一の背任の点につき、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人和島岩吉、同井本台吉、同長戸寛美、同豊島時夫、同仁藤一、同小野田学共同作成の控訴趣意書及び弁護人仁藤一、同本井文夫作成の控訴趣意補充書記載のとおりであり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事大西慶助作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、原判示第一の一に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判示第一の一の事実(昭和五七年四月二二日付起訴状の控訴事実第一の一と同一の事実)につき、被告人には背任の故意がなく、また損害額が五〇〇〇万円であることについての証明がないから、右事実を積極に認定した原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

所論にかんがみ、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも併せ考察し、次のとおり判断する。

まず、被告人の原判示第一の一の背任の故意の有無について検討する。林宗謙(昭和五七年三月一二日付)、田村弘、山口正明及び被告人(同年四月九日付、同月一〇日付、同月二二日付)の検察官に対する各供述調書、証人田村弘、山口正明及び同中脇輝子の当審公判廷における各供述並びに被告人の当審公判廷における供述によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、医療法人錦秀会(昭和五六年三月二七日医療法人阪和病院の名称を変更。以下右名称変更前後にかかわらず錦秀会という。)理事長である被告人は、もと本宅及び旧病棟のあった名張市安部田字中溝の土地に、錦秀会の倉庫及び管理棟を新築するとともに旧病棟を錦秀会の養老院施設に改造し、これと同時に自己の個人住宅を新築しようと考え、昭和五二年二月一七日、株式会社米田工務店(以下米田工務店という。)との間で、錦秀会理事長として、右倉庫及び管理棟各新築工事並びに旧病棟改造工事(以下これらを病院の工事という。)を代金一億六、七〇〇万円で請負わせる契約を締結し、同時に個人として、右住宅の新築工事(以下自宅の工事という。)を代金一億〇、五〇〇万円で請負わせる契約を締結したこと、被告人は、病院の工事及び自宅の工事(以下これらを両工事という。)の請負工事代金全額を錦秀会が借受人になって住友銀行から一括して借り入れ、そのうち自宅の工事代金分は錦秀会において被告人に対する仮払金として処理したうえ、病院の工事代金とともに錦秀会の経理担当者から米田工務店に支払わせることとし、昭和五二年初めころ錦秀会が同銀行から両工事の代金相当額の融資を受けたこと、そして、前記両工事の請負契約日に、錦秀会の経理担当者から米田工務店に対し、病院の工事代金の内金七、〇〇〇万円及び自宅の工事代金の内金三、五〇〇万円がそれぞれ支払われたこと、その後、錦秀会は、病院の工事のうち旧病棟の改造工事につき、当初計画した養老院施設への改造は名張市当局が養老院開設反対の意向を示したためこれを取りやめ、倉庫に改造することに変更したところ、被告人は、両工事の監理者であった建築士の田村弘(以下田村という。)から、「旧病棟を倉庫改造することになると当初の予算より安上がりになるが、自宅の工事の方は当初の予算の坪七〇万円では十分でないので、旧病棟の工事も含めて、トータル的に考えて旧病棟の工事の予算を自宅の工事の予算に回わしてはどうか。」と進言され、それに従うことにして同人にその実施を一任したが、その際自宅の工事の増額分がどのくらいになるかという話は出なかった。田村は、被告人の右依頼を受けて米田工務店に対し、両工事の予算合計額の範囲内で自宅に工事の費用を増額して施工するよう指示をしたが、両工事の当初の各請負契約上の工事代金はそのままとされ、増減変更はなされなかったこと、米田工務店は、旧病棟の工事費用の減少分を自宅の工事費用の増額分に充てて両工事を施工し、昭和五三年四月ないし五月ころ完工したが、両工事の工事費用を一体として考え、各別にその積算をしなかったため、両工事につき当予算に対する増減額を確定することなく、当初の各契約金額に従って、それぞれの残代金を錦秀会分及び被告人分として錦秀会の経理担当者に請求したこと、錦秀会の経理課長中脇輝子は、両工事の実際の各工事代金に増減があったことを知らされておらず、米田工務店からの右各請求書がいずれも当初の契約金額の残額につきなされていたため、理事長である被告人の決済を得ないで、錦秀会の病院の工事代金残額として昭和五三年四月五日に六、〇〇〇万円、同月二八日に三、七〇〇万円を、被告人の自宅工事代金残金として同日七、〇〇〇万円を(右金員については錦秀会の被告人への仮払金の処理をしたうえ)それぞれ支払ったこと、被告人は、米田工務店の右請求及び中脇輝子の右支払いが両工事の当初の各契約金額のとおりなされたことを、昭和五六年一〇月以降の税務調査で指摘されるまで知らなかったこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。しかしながら、関係書類を検討しても、被告人の原判示第一の一の背信の故意、すなわち、被告人において錦秀会に病院の工事代金を当初の予算どおり支払わせて、その実際の代金との差額分を自宅の工事代金の増加分に充当させて、錦秀会に同額の財産上の損害を与えるという認識ないし意欲があったことを認めるに足らない。前記認定事実によれば、被告人は、田村に対し、両工事の予算をトータル的に考えて旧病棟の工事予算の減少分を自宅の工事予算の増加分に回わすことを依頼しながら、その後、両工事の各請負工事代金の増減につき契約の変更をしていないし、また錦秀会の経理担当者に対し両工事の各請負工事代金に増減があるべきことを知らせていないのであるが、被告人は当初から自宅の工事代金を錦秀会からの仮払金により支払う意思であったこと、及び被告人が上申書(一)において、田村あるいは米田工務店が両工事間の工事代金の振替えをしてくれるものと考えていた旨述べていることに照らすと、被告人が田村に右依頼したこと及び経理担当者に右通知を怠っていることをもって、被告人に自宅の工事の増額分を病院の工事代金として支払わせる認識ないし意欲があったと推認することはできないというべきである。もっとも、被告人は、検察官に対する昭和五七年四月二二日付供述調書(二枚綴の分)において、田村に対し、トータル的に考えて工事をしてほしいと頼んだ結果、旧病棟の工事予算額のうち数千万円を住宅の工事費用に流用したが、この流用した数千万円というのは自分が病院から借りたというような仮払金ではなく、したがってこれを後日返済するつもりはなかった旨供述しているが、被告人は、右供述に至るまでの間に捜査官に対し、自宅の工事代金の増額分を病院の工事代金として支払わせる認識ないし意欲を有していたことにつき何ら供述していないことに徴すると、右数千万円を流用した旨の供述は、結果的に病院の工事代金として自宅の工事代金を支払ったことを認める趣旨にすぎないとみるべきであり、また、右後日返済するつもりはなかった旨の供述も、被告人が自宅の工事代金の増額分が病院の工事代金として支払われたことを認識していたかどうかその前提を欠く供述であって、これら供述があることをもって、被告人に背任の故意を認めることはできないというべきである。また、被告人は、原審における罪状認否として、他の公訴事実とともに昭和五七年四月二二日付公訴事実第一の一の事実(原判示第一の一の事実と同一)を認める旨の陳述をしているが、原審での審理を通じ、具体的に自宅の工事代金の増額分を病院の工事代金として支払わせる認識ないし意欲があったことについて何ら供述をしていないこと、及び上申書(一)では、自分が田村に対しトータルで考えて両工事をしてくれてよいと言ったことから、結果的に病院の工事代金として自宅の工事代金の増額分が支払われているので、あえて右公訴事実を争う意思はないと述べていることに徴すると、右罪状認否における陳述をもって被告人の背任の故意を認めることもできないと考える。そして、ほかに被告人の原判示第一の一の背任の故意を認めるに足る証拠はない。

したがって、被告人に右背任の故意が認められない以上、所論の損害額の点について判断するまでもなく、原判決の原判示第一の一の事実の認定には誤認があり、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならない。論旨は理由がある。

控訴趣意中、原判示第一の二に関する事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判示第一の二の事実につき、被告人には背任の故意がないから、これを積極に認定した原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

所論にかんがみ、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して考察するに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第一の二の事実は、被告人の背任の故意の点を含めこれを優に肯認することができる。所論にかんがみ付言するに、被告人は、原判示の刀剣三振(以下本件刀剣という。)を自己の所有物とする意思で購入したものではなく、錦秀会の所有物とする意思で購入したものである旨主張するが、被告人は、検察官に対する昭和五七年四月一〇日付供述調書において、本件刀剣を自己の所有物とするつもりで購入した旨供述しているところ、右供述は、右供述調書並びに高津一久(昭和五七年三月九日付)、橋本好弘(二通)及び田中太郎(二通)の検察官に対する各供述調書により認められる、被告人が本件刀剣を購入するに際し、錦秀会が医療機器であるCTスキャンを購入したように仮装し、その代金支払いとして振出した約束手形を本件刀剣の代金に充てている事実及びその経緯に関する事実に照らして十分信用するに足るものであり、これに反し、被告人は、上申書(一)及び当審公判廷において、本件刀剣は錦秀会の所有物にする意思で購入した旨各供述をするが、これら供述は、前記各証拠と対比して信用することができない、そして、所論が本件刀剣が錦秀会の所有物として購入された物であるとして縷々主張するところを検討しても、右判断を左右するに足らない。

したがって、原判決の原判示第一の二の事実の認定には所論の誤認は存しないというべきである。論旨は理由がない。

控訴趣意中、原判示第四に関する事実誤認の主張について、

論旨は、要するに、原判示第四の事実につき、被告人が共謀をした事実はないから、これを積極に認定した原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

所論にかんがみ、記録及び原審証拠を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第四のの事実は、被告人の共謀の点を含めこれを優に肯認することができる。所論は、被告人が原判示の無免許者によるエックス線照射を直接、具体的に指示監督したことはなく、またその行為を見分していたこともないから、共謀共同正犯の成立は認められない旨主張するが、関係証拠によれば、原判示のとおり無免許者らがエックス線を人体に照射する業をしたことが認められるところ、山羽正広(昭和五七年四月二三日付)、和久清次、吉川宏及び被告人(同月三〇日付、七枚綴の分)の検察官に対する各供述調書によれば、錦秀会では、従前から阪和病院において、大阪物療専門学校の学生を職員として採用し、これらの者に無免許でエックス線の照射、撮影をさせ、理事長の被告人もこれを承認していたところ、昭和五五年一二月の阪和泉北病院開設を前にして、被告人は、阪和病院の事務局長和久井清次から阪和病院にはエックス線技師二名を配置するが、同人らだけではエックス線の照射、撮影を処理しきれないことから、学生にもその業務を行わせる旨言われて、これを了承するとともに、錦秀会の幹部会において、阪和泉北病院では学生を使ってエックス線の照射、撮影をする旨を指示し、その指示に基づき原判示共犯者らによる無免許のエックス線照射、撮影が行われていたことを認めることができる。これに対し、被告人は、上申書(一)及び当審公判廷において、日曜、祭日にエックス線技師が全く出勤しないで学生らだけでエックス線の照射をすることまで指示したことはない旨各供述するが、右認定の被告人の指示が右のような場合を除くものであったとは認められないから、右各供述をもって原判示の無免許者らによる行為が被告人の指示に基づくものでないとすることはできないというべきである。そして、ほかに右認定に反する証拠はなく、その他所論を検討しても、右認定を動かすに足らない。

したがって、原判決が原判示第四の事実を認定したことに所論の誤認はないといわなければならない。論旨は理由がない。

以上検討の結果によれば、控訴趣意中原判示第一の一に関する事実誤認の論旨は理由があり、その余の各事実誤認の論旨は理由がないところ、原判決は、原判示第一の一の罪とその余の各罪とを併合罪として一個の懲役刑で処断しているから、全部の破棄を免れない。それで、量刑不当の論旨に対する判断をするまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判断する。

(本件犯行に至る経緯)

原判決の認定した「本件犯行に至る経緯」のとおりであるから、これを引用する。

(罪となるべき事実)

原判決の罪となるべき事実の第一の二ないし六、第二、第三の一、二、第四、第五の一ないし三と同一である

(ただし、第一の六の「同年」とあるのを「同五六年」と訂正する。)から、これを引用する。

(証拠の標目)

原判決挙示の各罪となるべき事実についての各証拠と同一である(ただし、「被告人藪本の当公判廷における供述」とあるのを「原審第一回及び第二回公判調書中の被告人の各供述部分」と訂正し、各証拠物の押収番号として「昭和五八年押第一二八号」とあるのを「当裁判所昭和五八年押第四三一号」と訂正する。)から、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示第一の二ないし六の各所為は、いずれも刑法二四七条に、判示第二の各所為は、いずれも同法二五三条に、判示第三の一、二の各所為のうち、私文書偽造の点は、いずれも同法六〇条、一五九条一項に、同行使の点は、同法六〇条、一六一条、一五九条一項に、判示第四の所為は、同法六〇条、昭和五八年法律第八三号(行使事務の簡素合理化及び整理に関する法律)附則一六条により同法による改正前の診療放射線技師及び診療エックス線技師法第二四条一項、三項に各該当し、判示第五の一、二の各所為は、いずれも行為時においては昭和五六年法律第五四号(脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律)による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては右改正後の法人税法第一五九条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第五の三の所為は、右改正後の法人税法一五九条一項に該当するところ、判示第三の一、二の各偽造私文書の一括行使は、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であり、私文書の各偽造とその各行使との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので、刑法五四条一項前段、後段、一〇条により結局一罪としてそれぞれ犯情の最も重い別紙(二)の1及び同(三)日の1の各同行使罪の刑で処断することとし、判示第一の二ないし六、第四、第五の一ないし三の各罪につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第二の別紙(一)の番号109の業務上横領罪の刑に法定の加重をした刑期(ただし、短期は判示第三の一、二の各罪の刑のそれによる。)の範囲内で被告人を懲役二年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し、押収してある准看護婦(士)業務従事者届五六枚(当裁判所昭和五八年押第四三一号の二、四、七)及び准看護婦(士)業務従事者届二七〇枚(同号の三、五、六、八、二〇))の各偽造部分は、いずれも判示第三の一又は二の各偽造私文書行使罪の犯罪行為を組成した物で何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文により没収することとする。

(量刑の理由)

本件各犯行は、被告人が錦秀会理事長として、その病院事業の経営に携わるうちに犯したものであるが、その原因は、被告人が錦秀会の規模の拡張にのみ熱心で、組織内部の充実、管理体制の確立を怠り、錦秀会の法人性を無視してこれを私物化し、経理面において公私を混同したことにあるといっても過言ではない。錦秀会は、被告人の経営手腕により、前記「本件犯行に至る経緯」において判示のとおり極めて大規模な病院を有するに至ったのであるが、被告人は、自ら理事長として、妻子などを理事に就任させ、幹部に子飼いの職員を配置し、自己と情交関係にある女性などを要職につけ、また関連子会社を一族で固めたうえ、法人組織でありながら個人病院と同様に意のままに運営し、経理を自由に操っていたもので、その体制はいわばワンマン経営ともいうべきものであり、その上に立って被告人は、本件各犯行を重ねたものである。被告人は、営利制を重視し、できるだけ患者を獲得して利益を上げるという基本的方針をとり、その結果多額の利益を得ていたが、そのことが本件各犯行を誘発し、あるいは容易にさせていたともいえる。(なお、検察官は、本件犯行は、被告人の患者を無視した濃厚診療の結果であると主張するが、証拠上錦秀会における医療方法が必要性を越えた濃厚診療であったとまでは認められない。)

そこで、本件各犯行の動機、手段、態様、結果などをみてみるに、判示第一の二ないし六の各背任及び判示第二の各業務上横領の犯行は、これらを併せると、犯行回数は一三一回に及び、その期間も約五年間にわたり、被害総額は二億八、〇七三万円余にのぼるところ、その各犯行の方法は、情交関係のある女性の実妹を経理課長に配置して経理全体を担当させ、同女に指示して思いのままに錦秀会の財産を利得したものであって、各背任の態様は判示のとおりであり、また各業務上横領は架空の接待交際費などを計上して金員を着服し、これをかって同棲したことがあり被告人の病院開設に資金面の援助をしてくれた女性への一億円の贈与金の一部に充て、あるいは情交関係のある女性などへの贈り物を購入するなどして費消したものである。その各犯行の動機に格別酌むべき事情は認められず、その方法、態様に照らすと、公私混同の極まったもので、甚だ悪質であるというほかない。判示第三の一、二の各私文書偽造、同行使の犯行は、錦秀会においては医療法所定の看護婦(准看護婦を含む。以下同様)の定員に対する充足率が低く、毎年行われる所轄保険所の医療監視への対応に苦慮し、退職看護婦をいまだ在職しているよう偽造するなどの方法をとっていたところ、昭和五五年一一月に阪和泉北病院を開設するに際し、右方法では対応できなくなり、全国各地から看護婦免許写を一通当たり五万円で多数買い集めたうえ、それを利用して敢行したものであり、その犯行露見を防ぐため架空看護婦の出勤表(タイムカード)を作成し、その社会保険の加入もするなど入念な偽装工作までしている極めて計画的で悪質な犯行であって、およそ医療業務を行う者としてあるまじき卑劣な行為といわなければならない。また、判示第四の無免許者による放射線照射の犯行は、錦秀会の放射線技師の人数は医療法所定の定員を充足していたものの、放射線照射の検査件数が多く、技師だけで処理できないため、無免許の学生らにより患者に放射線を照射する業をしていたものであり、これは免許制度をとっている法の精神を無視し、患者の信頼に反する行為として、その責任を軽視することはできないと考える。次に、判示第五の一ないし三の各法人税法違反の犯行は、被告人が、錦秀会の理事長として、その業務に関し、三事業年度(三か年)にわたり、不正行為により合計十六億四、〇三八万円余の所得を秘匿し、合計六億五、六一五万円余の法人税を免れたものであって、その所得ほ税率は二五・一パーセントで高率とはいえないが、ほ税所得額が極めて多額である。そのほ税の手段は、受増益(いわゆるリベート)収入の除外、医薬品などの架空仕入、架空資産の減価償却費及び架空接待交際費の計上などである。受贈益は、錦秀会が病院施設の建築を請負わせた建設会社に対し、その立場を利用してリベートを要求し、同社から五回わたり合計七億六、〇〇〇万円もの巨額のリベートを受け取り、さらに医薬品納入会社に対してもリベートを要求して合計二、二四一万円余を受け取り、これらを収入から除外していた。また、右医薬品納入会社の意向を抑えて同社からの医薬品合計四、九八〇万円の架空仕入を計上したほか、関連の食品会社からの給食用精米合計一億〇、一一二万円余の架空仕入を計上し、さらに、架空の医療機器の減価償却費及び建物の過大資産評価による減価償却費合計一億六、〇九六万円余並びに架空の接待交際費一億三、六二四万円をそれぞれ計上して裏資金を捻出していた。このようにして得た簿外資金は、被告人が個人的用途に消費した以外は、被告人が妻に東京で仮名の有価証券などを購入させるなどして秘匿していたものであり、しかも脱税の発覚をおそれ、関係の取引業者からは虚偽の書類を徴し、錦秀会の会計帳簿を偽造し、本件税務調査着手後も関係者に働きかけて口裏を合わせるなどしていた。これら脱税の対象となった収入の獲得の方法は強引であり、脱税の手段、方法は、計画的かつ巧妙で極めて悪質であって、悪徳営利企業なら知らず医療法人のすることとは到底考えられないほどのものである。被告人は、前記建設会社からの受贈益収入などによる多額の簿外資金を秘匿した理由として、昭和五一年ころ自分が癌の前症状があるという診断を受け、万一の場合には錦秀会の経営が破たんすることになるので、その整理資金を確保しておく必要があると考えたからであると弁解するところ、その心情には理解できる面もあるが、脱税という違法な方法をとつたことに斟酌しうべき事情であるとは考えられない。以上に照らすと、被告人の本件各犯行における犯情は甚だよくないうというべきであり、その責任は重大であると考えなければならない。

他方、被告人に有利な諸事情を考察するに、本件各犯行に関する個別的情状としては、次のような点を挙げることができる。まず、被告人の公私混同による判示第一の二ないし六、第二の各背任、業務上横領の被害については、被告人において、他からの借入金などによつてそのすべてを錦秀会に弁償ずみである。判示第三の一、二の各犯行の原因となつた看護婦不足の点については、被告人は、その解消のため阪和記念病院開設前に高等看護学院を、阪和泉北病院開設前に准看護学院をそれぞれ錦秀会の附属学院として開設し看護婦の養成に努力していたものであり、その結果現在では看護婦不足の状態が解消されつつある。判示第五の一ないし三の各法人税違反に関しては、そのほ脱所得は前述のとおり極めて多額であるが、ほ脱率は他の同種事案に比べるとかなり低いものである。そして、そのほ脱所得とされたもののうちの大きな部分は青色申告の取消によるものである(昭和五五年三月期のその割合は五二・五パーセント、昭和五六年三月期では三八。一パーセントにのぼつている)。これらの点を斟酌すると、右各犯行についての被告人の責任をほ脱所得額あるいはほ脱税額を基準に考えることは被告人にやや酷にすぎると考えられる。なお、右各犯行については、被告人が簿外資金として保管していた財産が錦秀会の経理に提供され、これをもつて本税、加算税、延滞税、その他関連する地方税などすべてが納付ずみとなつている。次に、一般的な情状として次のような事情が認められる。被告人は、医療の前に身の貴賎や貧富の差があつてはならないという信念に基づき行路病者、老人など弱者に対しても別隔てなく医療を施すべく個人病院から出発して、錦秀会を設立し、その後も病院を拡張して、地域医療、老人医療に尽力し、また救急医療の先駆として多数の患者の診察、治療に当たつてきたものであり、永年錦秀会の理事長として社会に貢献してきた業績は正当に評価されるべきである。しかしながら、本件各犯行が、いずれも錦秀会を舞台に被告人が理事長として、あるいはその立場を利用してなされたことにかんがみると、被告人は、医の倫理に反し医道を踏みにじつたものであつて、今日まで被告人が多年にわたり地域医療に尽してきた九仭の功を一簣に欠いたといわざるを得ない。その意味で被告人のこれまでの業績の故にその刑責を軽視することはできないというべきである。しかるところ、被告人は、すでに社会的非難を浴びたうえ、大阪市住吉区医師会からは戒告処分を受けるなと制裁を受けている。そして、被告人は、原審での審理の当初から本件各犯行を認めて反省悔悟し、保釈後の昭和五七年五月錦秀会の理事長及び理事を退任するとともに阪和病院院長を辞職したほか、大阪市住吉区医師会長など九つの役職も辞任し、また従前の女性関係をすべて清算して身辺を整理し、現在は信仰の道に入つて修養しており、その宗教関係の団体を通じて難民救援資金一億円を贈罪寄付している。一方、錦秀会は、被告人が理事長を退任して後、被告人一族のうち妻藪本規子を残して全員理事を退任させ、これに代えて病院運営の各部門の最高責任者などを理事に任命し、従前の被告人のワンマン体制を廃し、営利偏重を避けて公共性を重視する基本方針のもと、理事会中心を行つており、行政指導に忠実に従いながら適正な医療事業に励んでいる。しかし、錦秀会としては、被告人が理事長を退任した後においても、その経営能力、信用を必要とする状況である。すなわち、錦秀会は、現在金融機関などからの借入金約一〇〇億円を抱えているが、これらについて錦秀会の財産が担保に供されているとはいえ、被告人も個人保証をしていてその信用に負うところが大であり、被告人の錦秀会への協力がなければ金融機関がその貸付けを継続するか疑問であり、また、錦秀会の医師の大部分は大学からの派遣医師であるが、その医師の確保についても被告人がこれまで培つてきた人脈に頼らなければ困難であると考えられる。被告人は、理事長を退任して経営の実権を失つて後も現在まで錦秀会の右経営上の資金面、人事面その他につき全面的に協力し尽力してきたのであるが、それが断たれることになれば、錦秀会は経営の危機に立たされるおそれがある。

以上のような諸事情を総合して、被告人に対する量刑を決するのであるが、特に問題は被告人に対し刑の執行を猶予するべきかどうかということである。現在の錦秀会が地域医療、救急医療に果たしている役割が大きく、その公益性、公共性を重視しなければならないところ、その存続のためには被告人の尽力を期待するところが極めて大きいことを考えると、今被告人を実刑に処し、錦秀会との関係を断つことは余りにも社会的影響が大であるといわなければならない。被告人が前述のようにすでに社会的制裁を受けていること及び本件の有罪判決により医療法所定の期間は錦秀会の役員となることができなくなることをも斟酌すると、被告人を実刑に処することよりも、社会内で更生の道を歩ませることとし、医の倫理、医道のあるべき姿を自覚させるとともに、自分の生命とも考えているその錦秀会の現在及び将来の公共性、公益性を認識させたうえ、錦秀会の「病院を経営し、科学的でかつ適正な医療を普及することを目的とする。」という設立の趣意実現に理事会、理事長の指示に従い側面から協力、尽力させるのが刑政の目的にかなうと思われるので、被告人に対してそれを期待し、今回に限り刑の執行を猶予することとして、主文のように量刑した次第である。

(一部無罪の理由)

被告人に対する昭和五七年四月二二日付起訴状の公訴事実中、第一の一は、「被告人は、大阪市住吉区南住吉三丁目三番七号に事務所を有し病院を経営する医療法人錦秀会(昭和五六年三月二七日以前は医療法人阪和病院)の理事長としてその業務を統括するものであり、同医療法人のため善良な管理者の注意をもって誠実にその経営並びに財産の管理及び処分に当る任務を有するものであるが、右任務に違背し、自己の利益を図り、同医療法人に損害を加える目的で、昭和五二年二月一七日から同五三年四月二八日までの間、前記医療法人事務所において、建設業株式会社米田工務店に対し、同医療法人の倉庫新築工事等の代金を支払うに際し、同工事代金は一億一、七〇〇万円であるのにかかわらず、これを一億六、七〇〇万円とし、その差額五、〇〇〇万円は、別途同社に請負わせた自宅新築工事代金の一部に充てるため、同医療法人理事長藪本秀雄名義の住友銀行粉浜支店あての小切手三通(金額合計一億六、七〇〇万円)を振り出したうえ、右米田工務店代表取締役米田良男に交付して右差額を自宅建築代金の一部に充当させ、もって医療法人阪和病院に対し、右差額相当額の財産上の損害を加えたものである。」というのであるが、前記控訴趣意中、原判第一の一に関する事実誤認の主張について判断したとおり、被告人の背任の故意を認定するに足る証拠がなく、右公訴事実については、その証明が不十分であって、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山中孝茂 裁判官 高橋通延 裁判官 野間洋乃助)

○ 控訴趣意書

背任、業務上横領等被告事件

被告人 薮本秀雄

右被告事件について、大阪地方裁判所がなした判決に対する控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五八年一〇月二五日

右被告人

主任弁護人 和島岩吉

右弁護士 井本台吉

同右 浅戸寛美

同右 豊島時夫

同右 仁藤一

同右 本井文夫

同右 小野田学

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

目次

第一 総論・・・・・・一三八一

一 原判決について・・・・・・一三八一

二 医の倫理からみた錦秀会・・・・・・一三八一

三 錦秀会大成の原動力・・・・・・一三八六

四 被告人薮本の人間研究・・・・・・一三八七

五 まとめ・・・・・・一三八九

第二 事実誤認・・・・・・一三九〇

一 主張する理由・・・・・・一三九〇

二 判示第一の一(背任)の事実誤認・・・・・・一三九一

1 事実経過・・・・・・一三九一

2 合理的疑い・・・・・・一三九二

(一) 背任の故意がない・・・・・・一三九二

(二) 背任金額の証明がない・・・・・・一三九三

3 まとめ・・・・・・一三九四

三 判示第一の二(背任)の事実誤認・・・・・・一三九五

1 不服の要点・・・・・・一三九五

2 背任の故意がない・・・・・・一三九五

(一) 購入の動機・・・・・・一三九五

(二) 個人の財産と法人の財産・・・・・・一三九五

(三) 本件三振の刀剣は病院のものとして処理されている・・・・・・一三九六

(四) 被告人は、本件同等の刀剣を他に自ら所有している・・・・・・一三九六

(五) 刀剣の保管は、病院職員の和久井が担当し、病院で保管されていた。・・・・・・一三九七

3 C・Tスキャンに仮装した理由―近鉄側に責任はないか・・・・・・一三九八

四 判示第四(エックス線技師法違反)の事実誤認・・・・・・一四〇一

1 被告人の刑事責任・・・・・・一四〇一

2 合理的な疑・・・・・・一四〇二

第三 量刑不当・・・・・・一四〇三

一 犯行の態様について・・・・・・一四〇三

1 睦工業関係について・・・・・・一四〇三

(一) 不服の要点・・・・・・一四〇三

(二) 睦工業の請負実績・・・・・・一四〇四

(三) 田村睦満氏と被告人との関係・・・・・・一四〇四

(四) 田村氏の経営判断・・・・・・一四〇五

(五) 領収書の返還要請と念書の作成経過・・・・・・一四〇六

(六) まとめ・・・・・・一四〇七

2 栄一薬品関係について・・・・・・一四〇七

(一) 不服の要点・・・・・・一四〇七

(二) 薬品販売の実情・・・・・・一四〇七

(三) 購入者側の対応・・・・・・一四〇八

(四) 具体的方法・・・・・・一四〇八

(五) まとめ・・・・・・一四〇九

3 阪和食品関係について・・・・・・一四〇九

(一) 不服の要点・・・・・・一四〇九

(二) 改善された方法・・・・・・一四〇九

二 薄外資金の保管について・・・・・・一四一〇

1 不服の要点・・・・・・一四一〇

2 裏金の保管方法・・・・・・一四一〇

3 まとめ・・・・・・一四一一

三 金員の使途について・・・・・・一四一一

1 実質的な背任横領金額・・・・・・一四一一

2 横領金額について・・・・・・一四一二

3 横領金額の使途……吉原広子に対する支払・・・・・・一四一二

四 脱税に対する量刑事由について・・・・・・一四一四

1 逋脱割合は極めて低率である・・・・・・一四一四

2 逋脱額が多額であることの意味・・・・・・一四一四

3 医療法人の納税義務とその内容・・・・・・一四一五

4 診察収入―保険診療・・・・・・一四一七

五 本件各犯行の背景的事情・・・・・・一四一八

1 医療法人の私物化・・・・・・一四一八

(一) 不服の要点・・・・・・一四一八

(二) 一心同体的心情・・・・・・一四一九

2 同族法人の弊害・・・・・・一四二〇

3 被告人個人の私的生活・・・・・・一四二一

六 救急医療、地域医療に果した貢献―被告人の生きる道・・・・・・一四二一

1 これまでの貢献・・・・・・一四二一

2 現在の貢献度・・・・・・一四二二

七 本件後の事情・・・・・・一四二四

1 被告人の反省の態度は顕著である・・・・・・一四二四

2 納税の完了と被害弁償の完了・・・・・・一四二四

3 被告人の身体的事情も決して良好ではない・・・・・・一四二四

八 被告人が実刑判決を受けることによる打撃について・・・・・・一四二五

1 病院の信用に及ぼす影響が極めて重大である・・・・・・一四二五

2 病院経営上被告人の存在を不可欠とする理由について・・・・・・一四二六

3 正常な経営のチェック体制の確立・・・・・・一四二八

(一) 行政の指導の忠実な実行・・・・・・一四二八

(二) 現理事長および従業員による監視体制・・・・・・一四二九

(三) 被告人の決意・・・・・・一四二九

第四 おわりに・・・・・・一四二九

第一 総論

一 原判決について

原審判決を読むと、被告人籔本秀雄、錦秀会が裁かれると共に、現代医療の現状が裁かれているようにも思えるのであります。

原判決に認定された「罪となるべき事実」は、大筋において有罪であることが免れませんが、認定された事実は多くの点で、誤って認定されております。本件が司直の手で摘発されて、被告人籔本は、愕然としました。世の常の病院経営者がもつ多くの弱点、大きくなった錦秀会の運営に、法的無智に基き、余り意識せずに犯された多くの放慢、脱法、加うるに若き日の籔本が演じた放埓な色模様まで指摘されるとひとたまりもなかったのであります。之がため原審公判において、被告人は全面的に非を認め、全面的に起訴事実を認めることが何より改悛の意を表することと考え、当然弁明すべきことも弁解せず、多くの重大な点で、原裁判所の判断を誤らせる結果となりました。

法の批難を免れない点に、免れむための強弁は素より許さるべきではありませんが、真実は真実として、弁明すべきでありました。

この事の結果も、事志と違って、原判決のきびしい量刑の一因となった事はおおえない事と思います。

原判決は多くの点で、酌むべき情状を認めながら、尚結論として、実刑止むなしの判断を示されました。

その大きい原因は、弁明をつくさず、裁判所の判断を誤らした点を見逃すことはできません。

当審では、まず之らの点を明らかにして、もう一度事件を見直して頂きたいと思います。

二 医の倫理からみた錦秀会

1 過日弁護人らは、斉藤新理事長の東道で錦秀会所属の各病院を視察しました。

どの病院でも、現代医療科学が到達した最高の医療機器の完備に目を見はる思いをしましたが、何より、明るい、患者の立場に立って、神経の行届いた施設、何より患者に対する愛情が医師、看護婦、職員の一挙一動にも窺われ、深い感銘を受けました。

錦秀会は、事件発生以来多くの社会的批判にさらされましたが、現在、地域社会の人達、特に地域の医師諸君から之らの病院の果して来た、果している役割を高く評価して、その存続を強く要望されていることは、故なしとしない事が分った様な気がしました。地域医師の九七パーセントの人たちが、籔本のために、寛刑を願う嘆願書に署名して頂いております。

2 何より、之らの各病院は、籔木秀雄、即錦秀会として出現しました。指摘された色々の非難にかかわらず、錦秀会が果たして来た、果たしつつある実績は、高い評価に価すると思います。

原審判決は、「量刑の事情」として、「各犯行の手段態様等について」「医療法人の理事長としては許すべからざる法人の私物化に由来する傍若無人の行為といわざるを得ず、医師に要求される医の倫理、医道を踏みにじった行為であって、被告人に「有利な情状」を考慮しても、実刑を課するのが相当」と結論されています。

本件の特徴として、医療法人錦秀会はその成り立ちにおいて、籔本の個人的性格が、あらゆる面に浸透し、籔本の法的知識の不足と、錦秀会をつくり上げた自負心が、ワンマン経営との非難を受けるに至ったのであります。その内容は組織の要所に、近親者を置き、法人と個人を竣別せず、経理処理に法的非難に価する状況を現出するに至りました。こうした面では、「法人の私物化に由来する傍若無人」と見られたかも知れませんが、傍らの人達は、錦秀会の成り立ちと籔本被告人の関係に省り見て、寛容であった事も却って禍いしたと思います。

ただ之で強調したいことは、錦秀会所属各病院の経営の本筋に発輝された被告人籔本の医師としての、良心的運営と創意が病院所属の医師、看護婦、職員を心服させ、彼の理想に協力させるに至っていることであります。此点彼は原審における上申書で述べております。

「(一)当時一般の医院や病院では、金持の患者を数少なく抱えて経営が出来るというのが理想とされており、救急の病人や生活保護の患者、あるいは受刑者など、社会の最も底辺にある人達の医療を引受ける者は極めてまれな状態でありました。しかし私は医療の理想は、このような貧しい人達にも平等の医療を施すことにあると考えていましたし、また当時、阪和病院には、普通の経済状態の患者が少なかったこともありましたので、積極的に救急患者を引受けると同時に、当時誰も引受ける医者がなかった釜ヶ崎附近の行路病人や刑務所の受刑中の病人等の収容に積極的に乗出したのであります」

尚、上申書では、之らの患者を扱うことのいろいろな苦心とマイナス面を述べております(原審昭和五八年二月上申書(二)(三)参照)。

更に右上申書は、「大阪市が財団法人救急医療事業団を作り、その体制整備に乗出す迄は、国公立病院は勿論一般の民間病院は、救急患者を取扱うことを嫌がって取扱を拒むところが多いかったのです。……しかし私(被告人)は、このような救急患者に積極的に医療を施すことが医者の使命であると考え住吉区医師会長として、休日急病診療所運営委員長として、積極的にこれに取組み、阪和病院は率先して救急病院であることを誇りとしてきた……」

救急患者を取扱うことを嫌がられたのは「二十四時間態勢をとらねばならないのと、どんな患者が入ってくるか分らない」ことにあったが、被告人は進んで指定を受け、積極的に取組んだことは、医師の本道に挺身したものとして高く評価されてよいと思います。

その為には、被告人は先頭に立って、医師も看護婦も年中無休二十四時間態勢で寝食を忘れて働いたのであります。その為、当局から表彰されています。

二十四時間体制を先頭に立って樹立し、医師、看護婦、職員が今尚之に協力している実状に被告人のワンマン格の良い面が自然ににじみでていると思います。

錦秀会各病院が比隣病院から頭角を現わし、大を為すに至った秘密はこうした所にありました。

本件は、当初、検察官は「錦秀会が異常な発展を逐げた秘密は、濃厚診療にあり」としたが、原審裁判所はこうした証拠は認められんとしましたが、それどころか、被告人の医師としての本道につくした行動が、社会的にも認められ期せずして錦秀会の発展となったのであります。

ここで見落されてはならないことは、被告人が先頭に立って、医師、看護婦と共に二十四時間態勢を樹立し得ていることであります。

原審判決の言う、「法人の私物化……」は、前敍の如く近親者を法人の要所要所据え、財政面にワンマン支配の跡は否定できないが、一面において強引に医療機関としての錦秀会各病院の運営に、医の本道に立脚した他の病院に見られぬ積極的な足跡を残しているところに、被告人のワンマン支配の良い面が表われているとも言えると思います。

原審判決は、「本件各犯行は、医療法人の理事長としては許すべからざる法人の私物化に由来する傍若無人の行為……医師に要求される医の倫理、医道を踏みにじった行為」とされるが、以上の点を冷静に考察されるならば、本件は法的に非難に価する諸点は、甘受しなければなりませんが、医の本道を踏みにじったとの非難は酷に失すると思います。目前の利害を超越して、医師としての心構え、医の本道とも言うべき、社会の底辺の人達に差し廷べた人間愛に根ざした診療制度を樹立したことは、むしろ正当な評価を与えられねばならないのではないでしょうか、この点篤と当審で考慮されたいところであります。

さきに申述べました弁護人の各病院視察で、「専従の介護人を抱え、寝たきり老人を受け入れて、因難な経済に堪えて、ここでは、低額の介護料を堅持」して、此種患者に手厚く奉仕して居る実状に深い感銘を与えられましたが、この一事だけでも被告人が残した暖かい人間愛に充ちた医療が偲ばれる思いがしました。

3 近時、当面し、経験した人々でなければ説明できない、医療体制の残酷な実状が漸く社会的に批判されるに至りました。

之は朝日新聞9、19日付記事「街角からの報告」の一部です。「老人追い出す病院」……「二、三日して熱が下ったら、“おばあちゃん、すぐ出て行ってもらいますからね”急性肺炎で四〇度近い高熟を出した八十四才の母親を救急車で入院させた会社員A子さん(四八)は、治療が済むか、済まないうちに病院の事務員にこういわれ、度肝を抜かれた。母親の熱は数日で下ったが高令での大病、他にも病気を併発して、寝たきりの状態になった。母子二人の生活。家に一人で置けない。家政婦を頼もうとしたが、月に三十万円かかるといわれた。二十年勤続で月収四十万のA子さんでも負担しかねる……病院なら月に約十万円ですむ、そのまま入院を続けさせたかった。病院側の呼び出しが四回五回と続いた。『できるだけ早く出るように』『明日は出て下さい』“なぜ”の質問に事務員は、『老人を置いておくとね、上がり(収入)が減って困るから』と言い切った。担当の医師も同じことをいった。」

尚ここには、老人医療制度の実状がいかに多くの人々を悲痛な境遇に追い込んでいるかの事例が紹介されている(昭和五八年九月一九日朝日新聞“街角からの報告”参照)。

被告人は、原審上申書で述べるように、「救急患者として入院している患者の中に老人の占める割合が大きくなり、このままでは、救急病院としての受入れ機能が麻痺してしまう」という観点から、昭和四六年八月、本院の横に分院として老人専門の病院を設立し、これが社会からも大いに評価されたのであります。しかしそれでもなお老人の入院希望の増加に対応しきれないため右分院を五六年六月廃院とし……堺市深井北町に高度な老人専門の阪和泉北病院を設立し、終始現在に至るまで錦秀会は老人医療に力をつくし、社会から高い評価を受けています(原審被告人上申書14頁~15頁参照)。

錦秀会が財政的な困難やいろいろの無理を押し切って老人専門の病院を拡張して行ったのは、被告人の単なる営利、功名心ではなかった事は認められてよいと思います。

被告人の錦秀会が、一貫して、一般病院の受入れない社会の底辺の人達の救急医僚、老人医療の受入れ態勢を積極的に推進して来た業績は高く評価されてよいと思います。原審判決理由も「救急医療、地域医療に対する貢献」「被告法人が救急医療、地域医療に果してきた役割は弁護人指摘の如く正当に評価すべきものと考える。殊に被告人籔本が裸一貫から今日の被告法人を営々と築きあげ、社会に貢献して来た業績には無視し得ないものがあると解する」(原判決理由、四、3)とされています。

弁護人として特に強調したいのは、前敍のごとく、原審判決に評価される諸点は、被告人が医道の本道に立って終始大きく貢献したものと評価されて然るべきと考えることであります。

反面、被告人が之らの方策を積極的に推進するために、優秀な医師の確保、看護婦の充足にに苦心惨憺しました。そのため多額の赤字を覚悟で錦秀会付属看護学院及び高等看護学院を設立し、之が打開に努力していることが注目されますが、それでも尚、法の要求される充足が及ばず、之を糊塗するための小細工を弄し、原判決「罪となるべき事実」第三の犯行に至っていることは悲しむべく惜しむべきの感を禁じ得ないのであります。

三 錦秀会大成の原動力

本件が摘発された端緒は、短期に目ざましく発展し、肥大化した錦秀会が一部同業者の疾視となり投書となったとされています。

当初捜査当局は、錦秀会の異常な発展は、濃厚診療の結果と見、こうした角度から捜査されたが、実態は前敍の如き被告人の現代医療制度の実状に着目し、世の看過している社会の底辺の人たちの救済、老人医察に着想し、積極的な医療を推進した。之が為に物言わぬ社会の高い評価を受けるに至ったことが、錦秀会の大をなすに至った原勤力であったのであります。

原審判決は「検察官は本件各犯行は、被告人籔本の患者を無視した濃厚診療の結果であると主張し、弁護人、被告人はこれを争うが、当裁判所としては、本件各証拠をもってしては、被告法人の医療が、濃厚診療であったかどうかは、俄かには即断できないものと考える……」と判示していますが、既に詳論したように、錦秀会の世に受入れられ、大をなすに至ったのは、原審判決にも認められているように、救急医療、地域医療に対する貢献が、期せずして世の高い評価を受け、その大をなすに至ったからであります。濃厚診療をしていたなれば、比隣医師、内外から必ず批判、非難の対象となり、その存在に否定的に働いた筈であります。「かくすとも現るるはなし」世間の眼は鋭いのであります。

原審判決が「正当に評価すべきものと考える」とされた、救急医療、地域医療に錦秀会の各病院が果したその軌跡を辿れば、被告人籔本の努力がみのり、世に迎えられて錦秀会が大きく成長したことが明らかであります。決して濃厚診療の結果ではなくそれと反対に、患者本意の医療実施の成果であったことが十分認められるのではないでしようか。

原審判決が、被告人の経営の評価できる積極面を認め乍ら、「濃厚診療であったかどうか即断できない」との程度に止り、尚一抹の疑惑を止められているかにも見えるのは、なぜだろうか、被告人の女性関係等による人間不信が釈然とされなかったのではないでしょうか、

また錦秀会が大をなしていくにしたがい理事長としての被告人の給料が当初は、世間並の給料を受けていましたが、錦秀会が大きくなるに伴い、一千万、一千五百万、二千万の高額給料を受けるに至りました。

右給料は、一見高額に過ぎるとも見られますが実際の手取額は名目額の半分以下であり、錦秀会が大きくなるにしたがって理事長の法人運営のための内外多岐に亘る社会的活動が必要となり、交際費がかさみ、これを給料の中からも支出していたのであります。一般世上では、給料を低額にして交際費を多く計上して運営し、世の批判を避けるのが通常ですが、良し悪しは別にして、籔本流がここにも正直に出ています。こうした点も、傍若無人と見られる一面があるかも知れません。

四 被告人籔本の人間研究

1 本件に示された被告人籔本秀雄の性格は明暗二面にくっきりと現われております。

医師としてすぐれた素質と、あたたかい人間性に根ざした医療方針で錦秀会を大きく育て上げた経営の手腕は高く評価されてよい面だと思います。

三重県名張市の一開業医の被告人が「裸一貫から今日の被告法人を営々と築きあげ」(原判決の認めるところ)るまでの被告人は、この善き一面がフルに発現しているのであります。その間世の常の病院の経営者、事業家が犯し勝な小過はあっても大過はなかったのであります。

惜しむらくは、病院の経営が予想以上に成功し、財政的にも大きい力を駆使出来るようになって、人間的な弱点を暴露するに至っているのが本件であります。

そこには、法的無智に起因する法人の私物化があります。「被告法人の理事長として、その業務を統括し、被告法人のため、善良な管理者の注意をもって誠実にその経営ならびに財産の管理及び処分をなすべき任務……」という法的使命は当時の被告人には十分の自覚があったとは思えません。自らの財政的の負担で出発し、百数十億に上る銀行の借入金も被告人の信用提供によって為され、当時の被告人の主観では医療法人錦秀会は即被告人自らでありました。

こうした医療法人錦秀会の実体が善きにつけ、悪しきにつけ被告人のワンマン支配を可能にし、周辺の人達も敢えて之をとがめようとしなかったところに、本件に到った被告人にとっての陥穽があったのであります。

本件趨訴事実の多くは、有罪を免れないとしてもその多くは、被告人の法的無智が知らず知らずの中に犯されたと見られます。

2 被告人の本件に示された犯行に拘らず、改善され易い性格は本件起訴後の態度に端的に示されています。

原判決にも指摘されています通り、「法人税違反事件については、いずれも納税が完了、それに関連する地方税等も納付済」であり、「業務上横領、背任事件についても、被告法人に弁償済」みであり、「財産犯的側面から、被害が回復」されています。「被告人籔本自身自己の私財の大半を提供し、更に多額の負債を負う」に至っています。

反省の態度の顕著なことも原判決で認められています。「保釈出所後一切の公職を辞し、社会的制裁を受」けています。女性との関係も既に清算され、情実人事も匡正されており、人事面経理面での刷新が図られています(原判決理由、四)。

こうした処に、被告人の元々単純で改善され易い性格が如実に示されています。本来は善良な性格の持主であった事が認められると思います。

3 更に本件は被告人に人生の転機を与えることになりました。人生の一大事を究明する信仰生活に入る動機となりました。

本件が契機となって、山口県下新生仏教教団に入信し、その信仰生活は周辺の人達にも深い感銘を与えています。

五 まとめ

1 当審で、以下指摘する数点に付事実の取調べを求めたいのであります。前に述べました様に、原審で当然弁明すべき重大な問題について、改悛の情を示したいため、弁明を怠りました。之らの点は量刑上重大な影響があると思います。

2 錦秀会は原判決にも認められているごとく、「被告人薮本が裸一貫から営々と築きあげ、社会に貢献した業績……」があります。比事は原審でも評価されていますが、尚当審で訴えたいのは、現在既に被告人は、理事長の地位を退き斉藤理事長に代っておりますが、錦秀会所属の各病院には、今尚被告人によって樹立された、高く評価される医療体制が引きつがれ、救急医療、地域医療、老人医療に付、高く評価されてよい業績を挙げています。当審で、是非裁判所から各病院(その一院だけでも)に臨んで実情を調査されたいのであります。

3 原判決にも認められているように、「被害弁償」「納税の完了」等「財産犯的側面からみる限り、いずれも被害は回復されており、被告人薮本自身このため、自己の私財の大半を提供し、更に多額の負債を負う身となっている」

「反省の態度」として、「被告人薮本は、当公判では当初より、自己の非を認め、反省、悔悟の点は顕著であり、保釈出所後一切の公職を辞し……それなりの社会的制裁を受け……」又「女性との関係も清算されあるいは清算中(現在は清算されている―弁護人)」(原審判決理由、量刑の事情、四、1、2、3)

でありますが、之に附陳したい事は、本件以後、被告人は、一切の公職を辞し、錦秀会理事長の職を辞し、現在は、斉藤理事長を原点とした新体制の下に再び本件の如き非違行為をくり返さない体制が樹立されていることであります。

ただ、錦秀会は、被告人の信用が担保となって、銀行より約百五十億の債務を負うております。錦秀会の経営には尚被告人物心両面の協力なくしては、法律家の新理事長と雖もその経営は危機をはらんでいるのが現状であります。再び前の非違行為をくり返さない体制下に被告人の社会復帰が強く要望されている現状であります。比事を当審で強く御考察願いたいのであります。

第二 事実誤認

一 主張する理由

1 原判決の犯罪事実の認定の中には、明らかに事実を誤認するものがあり、原判決は破棄せられるべきである。

被告人並びに弁護人は、原審において、本件公訴事実につき、そのすべてにつき争わない旨陳述した。その主たる理由は、被告人が本件を通じて問われている自己刑責につき全面的に改悛し反省している旨を卒直に表明するところにあった。従って、本件公訴事実の個々の点については、あえて事実関係を争うことを差し控えて、本件全般についての被告人の刑責を判断する際に考量される限度において主張するに止めた。そして、右のような観点から個々の事実関係の存否については、被告人作成の上申書(一)において具体的に上申し、併せて被告人本人質問の際にこれを補充して供述したところである。

2 ところで、原判決は、個々の公訴事実の具体的な検討をなすことなく、単に被告人自身が自白し、かつ、公訴事実を前記の心境からあえて争わなかったことから起訴事実全体の証明が十分であるとの見解に立ち、安易にすべての事実を有罪とした。

もっとも、この点につき、原審を一方的に批難することはあたらない。如何に実体的真実主義の下とはいえ、あえて公訴事実を争わず積極的に反証を提出しない以上、右の事情の下ですべてについて有罪の認定となることもやむをえなかったとも考えられる。しかしながら、前記被告人の公判廷での供述並びに上申書の記載を基に、取調済の証拠を仔細に検討すれば、本件公訴事実のすべてについて、必ずしも立証十分とはいえず、右関係証拠によっても、なお有罪とするには合理的な疑が存すると認められるものもある。以下この点につき主として原審以来被告人が強く主張してきた次の三点について詳述する。

二 判示第一の一(背任)の事実誤認

1 事実経過

(一) 昭和五二年二月ごろ被告人は自己の出身地である三重県名張市に所在する本宅、旧病棟等があった土地に、被告人個人の本宅の新改築を、法人が倉庫と養老院を建築する計画を建て、それぞれ建築にかかった。ところが、後日病院の方は養老院部分をやめてこの部分も倉庫とする計画に変更した。そして、右各工事は、いずれも米田工務店に一緒に請負わせ、右工事は昭和五三年四、五月ごろ完成し、それぞれ別々に工事代金の支払を完了した。この間、被告人は、個人の本宅工事の一切をまかせていた田村一級建築士から、その建築途上に

「旧病床を倉庫にするのであれば、改修工事は、屋根、外壁、床の改修程度である。他方本宅の方は坪七〇万円ではしんどいので、この際旧病棟の方の予算も合わせてトータル的に考えて工事をすればどうか」

との問合せに対し

「それならトータル的に考えて工事をしてほしい」

と返答したのみである。

(二) 勿論、建築工事請負契約は、個人分と法人分と区分して別個に締緒されており、請負代金も個人分として一億一、三〇〇万円、法人分として一億七、一〇〇万円が別個に米田工務店に支払われ、そのトータルの代金は二億八、四〇〇万円と当初トータル見積額二億七、二〇〇万円よりやや超過している程度で終了しているのである。

(三) 被告人は、被告人個人の工事代金一億一、三〇〇万円の具体的な支払手続には全く関知せず、経理処理上当然ながら病院経理担当者において、院長仮払金として出金されている。

(四) その後、昭和五六年一〇月ごろ本件に関連して国税の調査を受け、はじめて被告人は右の概要を知ったものである。そして、前記のトータル的に計算して工事をやってくれてもいいと承諾したことをもって今回背任の故意があったと評価され、五、〇〇〇万円の背任罪として起訴されるに至っているものである。

2 合理的疑い

(一) 背任の故意がない

(1) 前記のことからも明らかなように、被告人は個人用の本宅工事を病院工事に含ませて契約したものでもなく、これを明確に区別していたのであり、工事代金も、請負業者からの請求に従って、個人用の部分については別個に支払っているのであるから、契約当初は勿論、代金支払の時点に於ても全く背任の意思は窺えないものである。

(2) 従って、請負業者たる米田工務店からトータルとしての建築工事代金を実際の工事内容に従って、病院負担分と個人負担分とに区分して正確に計算して調求されておれば、病院側経理担当者も経理上当然な処置として、病院負担分は医療法人の建築工事代金として支払い、個人分は病院長仮払金の経理処理をしたうえ、米田工務店に支払っていたと容易に推認しうるところである。そして、仮に個人負担増加分が判示の如く五、〇〇〇万円であったとすれば、それだけ院長仮払金にプラスした経理処理がなされていた筈である。このような仮払金による処理についての当否の問題はあろうが、法律上何ら違法視すべき筋合のものではなく、当法人のみでなく多数の事業所において現に行われている経理上の方法である。

(3) いずれにしても、被告人に対し、なぜ、国税調査を受けるまで、この点に関する経理処理を確認しなかったのかとの非難はなしえても、それが故に背任の故意があったとは到底認められないところである。

(4) ところで被告人が、米田工務店からの双方の請求書あるいはそれぞれの請求金額を工事完成の昭和五三年四、五月ごろに示されておれば、被告人は当然前記のような経理処理を命じていたと考えられる。

被告人は、工事が完成するまでは田村建築士ならびに米田工務店に工事をすべて一任しており、現場に赴いたこともなかったが、完成後に名張市に赴き実際に新築建物を見て田村建築士より説明を受けて、個人用の別宅建築が立派であることを認識していたと認められるから、トータル代金の内訳としても個人分にある程度の増加分があるであろうことは認識していたとしてもその額については誰からも明示されておらず被告人は前記のとおり国税調査を受けて知るまでその増加分がいくらであるのかを知る機会が全くなかったものであることは証拠上明白である。

被告人のみならず、米田工務店も、田村建築士も、個人分がいくら増加しているのかは代金請求時に於ては、正確に認識していなかったのであり、まして、判示のごとく五、〇〇〇万円であるとは到底確知していなかったものと思われる。

(二) 背任金額の証明がない

(1) 右の如く米田工務店も、田村建築士もともに、本件工事を一体的に理解して施工したため、資材費、人夫費、経費等をトータル的には計算できても、個々の工事費の実際価格は、当時も認識なく、又、本件捜査を受けた時点においても、概算以上に正確には明らかにしえなかった状況である。これはむしろ当然であり、同時に、同じ場所で一体的に建築工事を同一業者が実質上同一の施主から請負った以上やむをえないところでもある。

(2) 従って、根拠上もいろいろな数値が現われるが、客観的に合理的と認められる数値はない。

<1> 米田工務店 林宗謙の検面調書(3/12付<14>)

約五、七〇〇万円

<2> 同 右 (3/17付<2>)

約四四、九二四、〇〇〇円

<3> 田村弘一級建築士の検面調書 (3/15付<9>)

二、〇〇〇万~三、五〇〇万円位

<4> 米田工務店 山口正明の検面調書(4/5付<10>)

五、四九〇万円

<5> 神出検事報告書

五、〇〇〇万円を下らない

<6> 被告人の検面調書(4/10付<2>)

金額については分らない

(3) 以上のとおり各種の数値があって、いずれとも決しがたいので、五、〇〇〇万円を下らないとの捜査検事の判断を示す報告書まで証拠として提出されているが、右判断の証拠となったのも前記山口正明の概算による計算であって、なおそこには合理的な疑いがないとはいえないものである。

(4) 又、右五、〇〇〇万円とされる名張自宅の新改築工事代金の病院負担増加分は、そのまま法人の建物減価償却費の算定にあたり加算される結果、それだけ多額に法人税を逋脱したこととされるが、被告人の立場からすれば、全くいくらであると知りようがない以上、余りにも不当な結果というほかない。

3 まとめ

以上のとおり、病院理事長たる被告人の監督上の過失は認められるとしても、いずれの点から検討しても五、〇〇〇万円の背任の故意はこれを肯定しえないと考えられる。にもかかわらず、背任の事実を認定したのは、事実誤認というほかない。

三 判示第一の二(背任)の事実誤認

1 不服の要点

(一) 被告人が近鉄百貨店から刀剣三振を購入するにあたり、右代金一億八、五〇〇万円也を法人名義の約束手形で支払ったことが背任とされたものである。

勿論、この取引において被告人あるいは近鉄百貨店のいずれから申出たかは別として、対象商品を医療器機CTスキャンと仮装した事実は厳しく非難されるべきである。しかしながら、右のような違法な購入方法で購入された刀剣三振であっても、購入に際し被告人が被告人個人のものとする意思の下に右の如き決済方法をとっていない限り、換言すれば病院のものとする意思があれば、少なくとも背任とは認められないものである。

2 背任の故意がない

(一) 購入の動機

被告人はかねてから美術品殊に絵画、刀剣類に興味を覚え、個人用あるいは医療法人用として近鉄百貨店をはじめその他からも購入した実績があり、本件刀剣三振の購入についても右のような過去の取引経過の中の一つの出来事である。勿論、これら美術品の購入の動機は、自己の趣味もあってであろうが、その資産的価値に対するウエイトも大きかったものと思われる。

(二) 個人の財産と法人の財産

ところで、被告人にとって医療法人錦秀会は、法律上は別個の人格であるとはいえ、長年にわたる被告人の努力により今日の姿となったものであり、心情的には一心同体の存在であって、けっして別個のものではありえなかったものであり、このことは世間の常識からみれば巳むをえないところであるといえよう。従って、被告人個人さえ財産的に充実すれば、病院の資産が減少しようが一向にかまわないとかといった考えを被告人が抱く筈はないであろうと思われる。換言すれば、法人の財産が充実することは、被告人個人にとっても歓迎するところである。

反面本件刀剣を個人の所有としようと法人の所有としようと、被告人の刀剣に対する所有意欲に格段の違いはないのである。

また法人の金を使って物を買った以上、法人の経理のうえでは必ずこれに対する資産の裏付けを必要とするのであるから、法人から出金して買ったものをストレートに個人の所有にするなどということを考えることもできないし、またその必要もない筈である。もしそうする必要があったというためには、他にこれを肯定しうるに足りる理由が必要であろう。

本件の場合に被告人が右のように、法人の金を使いながら、個人の所有にしておかねばならない動機や理由、すなわち敢て背任の責を問われるおそれを犯してまでそうする必要あるいは動機があったであろうとは到底考えられないところであり、そのことは以下の事情からも十分推察されるところである。

(三) 本件三振の刀剣は病院のものとして処理されている。

阪和病院関係者の中で刀剣類に最も造詣の深い職員は和久井阪和記念病院事務局長であり、同人がこれら刀剣類の管理等を行なっていた。同人は、被告人個人と病院所有の刀剣類とを区別して台帳を作成しており、右台帳には本件刀剣が病院に帰属する旨明記されており、右事情は本件刀剣三振が病院のために購入された事実換言すれば医療法人の所有に属することを端的に示すものである。

(四) 被告人は、本件同等の刀剣を他に自ら所有している。

(1) 被告人は、個人用の刀剣類を所有しており、その中には本件刀剣と同じ重要文化財クラスのものもある。仮に本件刀剣を自己の個人用として購入したい気持があれば、被告人は自らの負担において十分に購入可能であり、過去に購入した刀剣類はすべて、個人の出費において行ってきたものである。

(2) しかるに、被告人の検面調書4/10付3項では、本件のような方法、手段をとってまで今回購入する刀剣三振を自己のものとする理由あるいはそのいきさつについては全く言及することなく、ただ単に結論のみを録取され、背任とされているのである。この間の経過につき被告人は、原審の公判廷において、自己の真意が捜査官に理解されなかった大きな事例の一つとして供述したところであり、その弁解には十分に合理性がある。又取調済の関係全証拠に照らしても、被告人がなぜわざわざ右の如き方法(実際と形式とを齟齬させる)をとってまで、被告人自身のものとする必要があったのかを納得させるに足りる理由は全くどこからも発見しえない。病院用として、購入しても被告人の鑑賞のさまたげになるわけでもなく、病院の財産が充実することは、被告人自身も大いに歓迎するところである。

(五) 刀剣の保管は、病院職員の和久井が担当し、病院で保管されていた

刀剣は、その保管には大変神経を使うものであり、日常的にはほとんど金庫等の保管場所に蔵置され、年に一~二度整備するのみである。この作業はもっぱら和久井氏がその専門的知職と経験を生かして担当し、被告人らは同人にすべてを任せていた状況である。

尚、本件捜索時には、本件刀剣等はほとんど被告人の自宅(病院とはそれほどはなれていない場所)の金庫等に保管されていたが、これは、本件捜索時以前の昭和五六年八月ごろに病院等の金庫の改修工事を行なった際盗難防止のためすべての美術品も自宅に一時的に移動させその後そのままになっていたためである。このことは、捜査当時の美術品等の自宅内の保管状況の写真を見分することによっても十分に了承されるところである。

3 C・Tスキャンに仮装した理由―近鉄側に責任はないか

(一) 被告人が刀剣三振を購入するに際し、品名を偽り医療器機C・Tスキャンの購入に仮装した責任は前述したとおり背任の故意の存否の判断とは別に重大である。

しかし、右のような仮装取引の責任のすべてが被告人にのみ存するとは証拠上認められず、一流百貨店である近鉄の責任も決して軽視しえないものであると思われる。この点は事実誤認とは若干異なる視点ではあるが、この際本件取引の実態を理解していただき、かつ情状として十分に理解されたいため、ここで一言言及する。

(二) 近鉄は、被告人及び医原法人との取引の原始帳簿類を全く提出しない。

(1) 本件に関して近鉄側から提出されたものは、産陽商事(株)に対する領収証関係のみであり、従前の被告人ら阪和病院関係の取引については一切帳簿類は提出されず、わずかに担当者のメモのみが提出されているに過ぎない。この種事案の捜査として極めて不十分であり、かつ、立証としても十分とはいえない。

被告人は、上申書(一)においてその閲の事情を次のように述べている。

「近鉄はそれ迄に私が買った刀剣や絵などについても、その現物の出先すなわち売主を隠すために、他の違うものを買ったことにしてくれと言ってくることが屡あり、私もそれを承諾しました。したがって、近鉄の方では、私に絵や刀を売ったことにはなっていないのです。今回の事件の後で私の絵や刀剣を処分する必要上近鉄に私の買った絵や刀剣類の買値や買った日付等について証明を求めに行きましたが、近鉄側は、そのような物を売ったという記録がないので、という理由で、断っているのであります。」

(上申書五〇頁)

右上申書に記載されているように近鉄側は、被告人並びに病院との取引の全貌を明らかにする態度になく、出来るだけ秘匿しようとの態度に出ていることは明らかであり、捜査中も前記のとおり、近鉄担当者橋本のメモを提出するのみで終っている。

売主たる近鉄側において、出来るだけ刀剣や絵画の購入元を秘匿したかった事情は、納入業者である善田一雄の検面調書八項に「……原則として業者が直接購入者宅に品物を届けることはしておりません。それは、百貨店が自分の得意客を知られることをおそれ直接業者と百貨店の客との取引を警戒するもので……」との供述記載からも十分に推測しうるところである。

(2) 又、近鉄側の部内についても、「品名変更」(田中検面調書3/24付5項)という取扱が慣行として存在し、自己又は買主側の事情で実際の販売商品とは違った商品名で帳簿上の処理をなすことが行われていることを自認しているところでもある。

(3) ところで、近鉄は本件刀剣三振の取引以前あるいは以降の被告人あるいは阪和病院に対して販売した刀剣類の書類関係はどのように処理しているのであろうか。いわゆる「品名変更」をしているのであろうか。被告人は前記の如く上申書に記載しているが、近鉄側が原始資料の提出をしない以上この点はこれ以上判然としない。

(4) ところで、万一、「品名変更」の方法で取引を行ない、そして、被告人が右の如き取引方法を自ら望んでいたとすれば、当然本件の場合と同様医療法人の備品に品名変更されているとも十分に考えられよう。

しかし、現実にはそのような手続とはなっていない。けだし、本件捜査において、本件の場合の外に医療器機等病院の設備、備品什器等に関係して、仮空の減価償却を指摘されていないことからも十分に推測されるところである。

してみると、なぜ今回に限り、右の如く被告人からC・Tスキャンに「品名変更」を申し出る必要があったのであろうか、はなはだ不可解というほかない。

(三) 産陽商事(株)との取引の仮装は近鉄側の要求である。

(1) 本件取引は、証拠上も明らかな如く、次のとおりの取引経路を経ているが、右の取引経路の設定はすべて近鉄側の主として責任者田中太郎によってなされているものである。荒勢英一→(株)善田昌運堂→近鉄百貨店→産陽商事(株)→衣料法人錦秀会

(2) 右の経賂中、産陽商事株式会社を介在させた理由は、もっぱら近鉄側の事情が存したのみであり、被告人側が言い出したものではない。なぜなら、近鉄側は、被告人が申し出た刀剣三振の購入条件、即ち、代金総額一億八、五〇〇万円、毎月五〇〇万円の約束手形による三七回分割払の支払方法では近鉄の社内決済条件に合致せず、到底承認が受けられないため、何とかこの商談を成功させんがため、短期間で現金決済する方法として、産陽商事株式会社を介在させることを思い付いて被告人に持ちかけたものである。

この点については田中太郎も橋本好弘もそれぞれ検面調書において認めるところである。

(3) ところで、近鉄の責任者田中太郎は本件取引に関して、如何に産陽商事(株)の代表取締役である高津一久と親密な間柄にあったとはいえ、同人に対し、近鉄が直接取引をせず、その間に産陽商事(株)を介在させたい理由を説明する必要があったものと思われる。即ち、近鉄では、一般的に借用不安があるから長期の分割払を社内的に承認していないのである。従って当然なことではあるが、産陽商事(株)に対し、そのような事情をあからさまにそのまま言えば、高津氏も難色を示し、まして阪和病院とか籔本といっても同人は全く面識もなく、そのような者と長期月賦取引は拒否するおそれがある。そこで近鉄側の田中太郎は、そこに何らかもっともな理由が必要となり「医療法人が刀剣を購入できないので、医療器機にして」という言い訳を考えつき、その旨申し出てそれに応じた利益(約五五〇万円)を約束し、同人の承諾を取りつけたのが真相と思われる。田中自身もこのような方法を他でも体験し、あるいは聞知していた旨検面調書で供述しており、被告人にとっても特に不利益とはならず、十分に了承きれると見込んでいたものであろう。

他方、被告人側としても、右のような刀剣取引交渉の直前ごろから、近鉄百貨店から医療器機の購入方を要望されているものの、住友銀行の強い申し出により住友商事から一括して購入せざるをえない立場にもあり、近鉄側の申し出には簡単に応じられない事情にあった。

そこに刀剣三振の購入とC・Tスキャンの購入とが組合わされる近鉄側と被告人側双方との一致点があり、本件犯罪のような取引となったものである。

(4) いずれにしても、本件取引が成功した結果、田中太郎は、近鉄に営業上の利益(約五〇〇万円)を揚げたほか、多額の割引料(約二、四〇〇万円)を自己の父親が名目上の代表者をし、自己自らが実質上の権限を持って運営していた萬里商事株式会社に得させているのである。

(5) その後、産陽商事株式会社は倒産し、同社が萬里商事とも本件以外に多額の金融取引があったことから、田中と高津との間に紛争が生じ、ひいては本件仮装取引も両者間で問題化し、被告人のもとに解決を依頼する等の後日談もあった模様である。

(6) 以上が本件取引の既要と思われ、このような取引を仮装した責任は被告人にもある程度は否定しえないとしても、その主たる責任はあくまで産陽商事(株)を介在させた近鉄側にあったといわなければなるまい。一流百貨店の要職にある田中の態度は、被告人とともに法律上も厳しく非難されてしかるべきものがあり、このような不正な取引を容認していた近鉄百貨店自体に相当な責任を否定しえないと思われる。

四 判示第四(エックス線技師法違反)の事実誤認

1 被告人の刑事責任

阪和泉北病院では、昭和五六年八月九日の日曜日から同年一二月二〇日の日曜日までの、いずれも休日(合計九日間)同病院の診療エックス線技師が出勤せず、無資格の同病院従業員であって現に物療専門学校通学中の学生がX線診療器機を操作し、患者にエックス線を照射した。この点につき被告人にも共謀共同正犯としての責任があるというものである。

2 合理的な疑

(一) しかしながら、医療法人の理事長として従業員一、六〇〇名の最終的な全責任が被告人に存することは別論として右判示事実について被告人に刑事上の責任を肯定しうるかについてはやや疑念があろうと思われる。即ち、被告人はなるほど、相当量ののエックス線検査をこなすため、エックス線技師とともに学生もこれに日常関与していた事実あるいは学生にも大いに活躍してほしいと期待していたことは上申書(一)に述べたとおり真実であろうが、しかし、これを越えて積極的にこれらの作業を学生だけでやることを求めていたわけではなく、まして、日曜、祝日等の休日の勤務体制がエックス線技師を除いて学生だけに割当てられていたことなどは全く認識していなかったものである。

(二) そして、平日のエックス線撮影についても、当然のことながら、理事長たる被告人が直接・具体的にこれを指示監督していたわけではなく、又、個々の勤務状況を見分していたわけでもない。むしろ検察官も冒頭陳述書、論告要旨で正しく指摘されているとおり阪和三病院では、決してX線技師が医療法に違反して不足していたわけてはなく、平日にはこれらX線技師も多数出勤して業務を行なっており、被告人としては、このことから、判示事実のように休日に学生だけで撮影を実施していたということも想い到らなかったものと考えられる。

(三) 更に、堺市にある阪和泉北病院は、被告人が日常執務する住吉区の阪和病院(本院)とは相当離れており、それほど頻繁に行来していた実情になかったうえ、同病院には、他の各阪和病院、付属看護学院等と同様院長がおり各病院内の医療業務についての直接の責任は院長がこれを負っているのである。したがってこの組職体制を越えて理事長たる被告人が一々、各病院の技師の勤務態勢あるいはその状況を直接指揮し監督し、あるいはその実態を知っていたとは到底考えられないところである。したがって前記判示事実について被告人に「共謀」の責任を課した原判決には、なお合理的な疑問を禁じえないと思われる。

第三 量刑不当

原判決判示の情状に関する判断は、弁護人として賛意を表し、首肯しうる点も認められないわけではない。原判決の「量刑の事情」の判示部分を仔細に検討すれば、事件後被告人あるいは弁護人が情状として盡しうべき殆んどすべての事項を誠意をもって実行したことが一応肯定されている。その意味では被告人あるいは弁護人としてはこれ以上情状について敷延し、立証する余地がないといえるほどである。にもかかわらず、原判決は何故か結論として実刑の厳しい宜告となっている。その理由を推測すれば、原審は本件各犯行の態様に関する認定が厳にすぎて、ある意味では事実関係を誤解する個所が認められるほか、何よりも今日までの病院形成に尽した被告人の尽力あるいは現に果しつつある阪和三病院の社会的役割の重大さと今後の病院の存立につき被告人の果さねばならない役割についての理解を欠く不当なものであり、破棄されるべきものである。

以下その理由を分説する。

一 犯行の態様について

1 睦工業関係について

(一) 不服の要点

原判決は、医療法人の受贈益(リベート)収入については、いずれも法人の力を背景に取引業者にこれを有形、無形に強要したと判示し、病院建設を請負った睦工業から多額のリベートを受領し、更にこの事実を隠蔽する行為にまで及んでいると非難している。右非難には弁護人とし首肯しうる面もあるが、それでも、睦工業の講負実績、睦工業代表収締役社長田村睦満と被告人との関係、更には、右リベートの念書をめぐる話合いについては、それぞれ被告人側にも同情すべき事情が十分認められ原判決の認定はいささか被告人にとって厳にすぎるものと考える。

(二) 睦工業の請負実績

睦工業は、資本金五、〇〇〇万円也のいわゆる中小企業であり、医療法人錦秀会の病院、看護婦寮、記念会館等の建設工事を請負うことにより、年々企業実績をあげ、事業規模も拡大させてきた。殊に、昭和五一年以降、本件事件当時までの間は、阪和病院関係のほとんどすべての建設工事をほぼ同会社が専属で請負っていた状況にあった。従って、請負総金額も、昭和五一年一〇月期一三億八、〇〇〇万円、昭和五二年一〇月期八億四、〇〇〇万円、昭和五三年一〇月期五億七、〇〇〇万円、昭和五四年一〇月期一一億三、〇〇〇万円、昭和五五年一〇月期五九億、〇〇〇万円、昭和五七年一〇月期(中途)ではすでに二〇億円と数年間で合計九八億九、〇〇〇万円と、同会社と同規模程度の建設会社と比較した場合には格段の実績を揚げえたと認められる(証拠番号59睦工業常務取締役上野国信作成の「阪和病院等との取引一覧表」ご参照)。

右の如くほぼ専属で中小企業たる睦工業が、右の如ぎ高成績をおさめた原因は、同社の技術力等建設会社としての実力も「無視」しえないところではあるが、何よりも、睦工業と阪和病院との強い信頼関係がその根底に存したからにほかならない。

通常、一般的には、注文主(施主)は請負代金の安い建設会社に発法するため、入札等の各種方法により業者選定を行なうのであって、専属的な関係を持つ場合は、右のような特別な関係が不可欠である。

(三) 田村睦満氏と被告人との関係

被告人は、昭和三七年ごろ、田村氏の親戚であり被告人とも旧知の樋高十助氏(割烹経営者)から田村氏の紹介を受けたことから互に相知る間柄となった。その後昭和四二年被告人が阪和病院(本院)の第三病棟の建設工事を睦工業に依頼して以来、ほとんど切れ目なく次々と病院関係の工事を発注し、同病院拡張と軌を一にして睦工業も実績も揚げて行ったのであり、その間両者の信頼関係は次第に強いものとなり、本件当時ごろには前記のとおり極めて緊密な関係となっていたものである。このような関係は当然のことながら、双方の代表者たる被告人と田村氏との個人的な関係にも及び、両名は仕事上のつき合いだけに限らず、私的な交際も極めて親密になったものである。そして、被告人の上申書(一)にも述べるように、被告人は心情的には田村氏を本当の友人あるいは兄弟と考えるまでに至り、互に個人的な問題まで話合い、かつ、依頼する間柄になっていたものである。例えば、家族同志のつき合いも、ゴルフ会員権を共有することも、さらには田村氏の出身地である鹿児島方面にも、同人の斡旋尽力により不足看護婦の募集を依頼することなどといった様々なことも今日に至るまで続いている関係にある。そして、両人にとって共通する事業の運営等についても遠慮のない批判やかなり立入った点についてまで語り合い、かつ、互いにこれを許し合える間柄となっていったものである。

(四) 田村氏の経営判断

被告人は、昭和五一年ごろ、前がん症状の診断を受け、その後かなり心理的な動揺をきたし、自ら告白したように一時的には、道義的にも非難すべき行動に出、しかも、常識的に考えてもかなりその限度を逸脱したとの評価を受けてもやむをえないものがあった。このことは誠に遺憾であるが、しかし、被告人たらずとも「ガン」の宣告を受けた者がやがて訪れるであろう死の影に怯え絶望と自棄的心情に陥ることがあるのは人間として巳むをえない心情であろうと考えられる。ことに被告人は医者として、自己の生命についての予見が通常人よりも適確にできる知識を存するだけにその深刻さは同情に価するものがあると言えよう。

このような状況下において被告人は自らの判断として、今後の家族のこと、そして、これと密接不可分な関係にある阪和病院の将来と存亡の危険に思いをいたし、本件リベート等による早急な病院の財産の充実を考えるに至ったものでありその心情には十分な同情の余地があろう。

このような心情から田村氏にその旨申し入れ、一〇億円もの多額のリベートをある程度の期間内に受領したい旨願い出たものである。これに対し、田村氏は、同人の検面調書でも述べるごとく、被告人の立場とは別の観点に立ち、自らの経営者としての長い将来の展望のうえに立って右申し出を熟慮し、今、「実績をつけることが会社のすすむべき道だ」(4/10付5項)との結論に到達し、被告人の依頼を承諾したものである。

今日建築業界のみならず、多くの取引に於て何らかのリベートが半ば慣行化している状況に照らせば、被告人が睦工業との過去の長い取引に於てかかるリベートを要求したことがなかったことはそれ自体被告人と田村氏との間の信義の厚さを示すものということができると思われる。しかし被告人が前述のような心境から一度に多額のリベートを要求し、田村氏も熟慮のうえこれに応じた理由には、原判決の言うように法人の力を背景とした強要とのみでは片附けられない心情すなわち被告人の立場に対する十分な同情の念をみとめることが可能であろう。

(五) 領収書の返還要請と念書の作成経過

本件金員授受の際に睦工業井口専務から領収書の請求があり、被告人不在中であったため被告人の妻規子が井口専務作成の受け取りに署名して同専務に交付した。

右のように領収書が作成された事情は、井口専務の申し出によるもので、田村氏自身は、領収書を受け取るつもりもなかった様子であり(田村氏がこの領収証を紛失した事実からも極めて軽く考えていたことが推測される)、又、右一連の経過からすれば、領収書のやりとりをしないのが通常と思われる。被告人は、被告人不在中に領収書に署名して交付した事実を後刻妻から知らされ、被告人自身としては、この金を裏金としておくためにも、領収証があることは気がかりとなり、田村氏にその返却を求めた。そして当然直ちに返却を受けられると軽く考えていたところ、一向に返却されず紛失した旨聞かされたが、他のことではきわめてきっちりした性格の田村氏の措置としては、紛失という点にいささかの疑念を生じ、勢い念書の作成を依頼するとの考えにまで進んだものと思われるのである。この点も元々は違法な行為から出発したものであり、非難すべきは当然としても、経過として理解しえない訳ではない。なお、右「念書」の作成とその存在がかえって本件の経過を証明する資料となることからすれば、原判決判示のように被告人が隠蔽を図りたいとの一心で右のような行動に出たものでないことは明らかである。

(六) まとめ

いずれにしても、本件全体の中において睦工業からの受贈益の金額の占める割合は大きく、被告人の刑責を量定するうえで重要な事実であるだけに、被告人と田村氏との間の本件リベートに及んだ心情について正当な評価をいただきたいところである。

2 栄一薬品関係について

(一) 不服の要点

原判決は栄一薬品との薬剤取引に関するリベート、架空取引等についても、「同社の再三抵抗を排して」(原判決量刑の事情一、L(二))、被告人が強要したと非難している。この点も証拠上は一見、被告人が原判決判示の如き行動に及んでいたと思われる事情が認められるように見える。しかしながら、薬剤販売をめぐる病院と薬品会社との一般的な取引の実情を考慮し、かつ、検察官に取調べを受ける立場に立たされた薬品会社の者としては、まづ自分の立場を弁護する供述、すなわち一方的に被告人に強要されたとすることにより自分の道義的あるいは法的立場を有利にしようとする供述に傾くものであることなどの事情をも併せ考えると被告人側の態度が、原判決判示の如く著しく強圧的であったとまでは認められず、なお被告人の刑責を判断するうえで考慮すべき事情も認められるところである。

(二) 薬品販売の実情

大阪は製薬会社の中心地として、薬品の製造、販売競争は苛烈であり、その傘下中小薬品販売会社は多数にのぼり、又その競争には烈しいものがあることはほとんど公知の事実である。特に、大口消費者である医院、病院等に対する販路拡張競争は、小売薬品店に対するものとは別に各種の方法を考えて、販売会社が努力しているところである。例えば、専門医、名医と称される医師の推奨を受けるとか、学会誌に報告記事を掲載して宣伝に努めるとかの方法のほかに、より直接的には試共品の提供あるいは大巾な値引、等を継続して行なうことも慣行化している。

このことは栄一薬品(販売会社としては決して小規模ではなく、田辺製薬の八〇パーセント出資に係る大阪では六番目の会社)の取扱いでも同様であり、販売促進費の名目の下に多額の経費支出を行なっているのが実情である(竹中検面調書4/15付七項、黒田検面調書4/2付三項)。販売促進費の内容としては、値引、品物贈呈、現金渡しと考えられる三つの形態のすべてが用意されており、購入者の希望を入れ、決定されているのが実情である。勿論栄一薬品の竹中一男の供述調書からも窺えるとおり公表できるものと公表できない部分とに区分して社内的取扱いをしていることも明白であり、他の同業他社の販売促進費の実情もほぼ同一と考えられる。

(三) 購入者側の対応

右の如き販売競争の下で、需要者たる医院、病院側は、全般的に有利な立場にあり、応々にして、薬品販売会社に対し、販促費名目での支出を期待して、過度な要求をなしている場合が少くないと思われる。その実態を正確に示す客観的資料を提示することは困難で、その全貌を明示できないが、それでも、証拠番号69の「査察官調査書」に添付された栄一薬品の販促費の帳薄抜すいを一読するだけでも、かなり多数の病院名が記載されていることが認められる。これからみても、販促費の実態の一端を知ることが出来るわけであり、購入者側でも薬品販売会社から種々の名目で便宜を受けていることが十分に窺えるところである。購入者の一人である阪和病院も、例外ではなく、むしろ、大口購入者の立場から薬品販売会社は競って、独占的な取引を獲得しようと努力するものであり、むしろ業者の方から、可能な限りのサービスを試みようとするのが通常である。そのため被告人も自然と右のごときサービスがむしろ当然と誤った考え方に慣れ、本件各申入れをなしたものと思われる。

(四) 具体的方法

しかし、それでも、販促費名目の便益供与の具体的な方法は、多くの場合購入者の希望を聞いたうえ、薬品販売会社の側で決定していたものであり、本件阪和病院の場合も、被告人の方からその全部を具体的に申し入れたとは考えられず、薬品販売会社の担当者もその決定に大きく関与していたことは明らかと考えられる(大西富夫の検面調書四項以下ご参照)。

(五) まとめ

いずれにしても、被告人の刑責は明白ではあるが、それでも、被告人が、本件のような違法な取引を行なった背景には、右に述べたような薬品取引業界の販促制度という犯罪の温床的な慣行が存在したという事情と、このような事情を隠したいために検察官の取調べには、ことさら本件だけが特殊な要求に基づいて巳むなく行ったかの如き供述をし勝ちであり本件もまたその例外ではないと思われる点等も十分に考慮されたいのである。

3 阪和食品関係について

(一) 不服の要点

原判決の指摘のとおり、阪和食品株式会社を通して給食用構米を購入する方法をとったため、医療法人の仕入価格が割高となる結果を招来したことは事実と思われる。しかし、被告人は、この購入手続の具体的方法については、全く関知せず、そのすべてを元阪和病院の従業員でもあった宮本芳子(同女は昭和五八年二月七日死亡)らに一任していたのである。そして、仕入価格は割高となっていたとしても、それだからと云って、患者らにそれだけ多額の負担を負わせていたわけでないことは被告人の上申書(一)三〇頁以下に詳しくその理由を説明したとおりである。尚、この点についての日本食糧社長橋本彦之の6/22付検面調書三項は明らかに事実を誤解するものである。

(二) 改善された方法

そして現在では、斉藤理事長の下で関連会社との取引も厳しく規制され、その一貫として精米の購入をはじめすべての購入は関連会社を通すことなく、直接にそれぞれの業者と行なっており、すべての取引は完全に改善されるに至っている。

二 薄外資金の保管について

1 不服の要点

原判決判示の方法等により生じた薄外資金(裏金)は、そのほとんど全額が、被告人妻規子の手許で保管され、同女が逐次有価証券等を購入するなどの方法で病院のために厳重に確保していたものである。原判決はこの点をとり上げて、同女がわざわざ上京し、仮名で有価証券等を購入して秘置していたものであると厳しく非難している。しかしながら、本件における被告人らの行為を右のような理由で特に厳しく糾弾されるのであれば、当をえたものとは考えられず、いささか酷にすぎる非難であろうと考える。

2 裏金の保管方法

(一) 今日までの多数の脱税事件等で明らかにされ、かつ、日常報道される国税当局の査察結果をみても、被告人ばかりでなく、いずれの脱税事犯においても、同種の隠置工作を行なっているのである。そして、大企業においては、海外子会社を利用するなどの方法により大々的に裏金操作をしていた事例も報告されている。これらの事例に比較すれば被告人らの保管方法はむしろ初歩的で稚拙なもので計画的、かつ巧妙(原判決量刑事情一-(六))との評価は当らないというべきである。

(二) 又、脱税防止対策として常に指摘される銀行、証券会社等の取扱いにも、被告人らの違法な行為を助長させる要素が十二分にあったと考えられる。本件のこれらに関係する質問てん末書(証拠番号17ないし37)を一読すれば、その取り扱いが余りにも安易であることが十分に窺えるであろう。

例えば、証券会社の内部規定で念書(届け書)を提出すれば仮名を承諾したり、観客管理カードに「例人」(れいのひとの意味か)という名義の使用を承認するなど、証券会社自体において、仮名取引を承認している実態があり、更には、表面的には、仮名は厳しく調査するようにとは指示しているものの、実際には担当者自らの妻、友人の名義を使用したり、自己の部下の成績を良くするために利用するなど、全く逆の態度にあることも明らかである。また、被告人の妻は、実名を明らかにしていなかったにしても、会話の内容などから推して少し調査をすれば十分に本名を特定することは可能であったと思われることも証拠上十分に読みとれるところである。

3 まとめ

にもかかわらず、右のような仮名の取引の実体を看過して、被告人の妻か仮名を用いたこと、わざわざ東京に持っていったこと等をあげて非難する原判決の見解はやや妥当を欠くのではないかと思われる。勿論、右のように強調することにより被告人の態度をすべて正当化しようとする意図は全くなく、そのようになる筋合でもないことは明らかであるが、証券会社あるいは銀行取引等の実体も十分考察され、決して、本件の被告人の裏金の保管方法が巧妙なものでも、計画的なものでもなく、同種事案と同様な方法に止まることを、十分にご理解いただきたい。そしてその結果として、幸いにも右裏金約一五億円はすべて散逸することなく、被告人から医療法人錦秀会の現理事長斉藤周逸弁護士に引き継がれ法人の正当な資金として還元された点も量刑上十分に考慮されたい点である(勿論現在は右裏金に対する課税関係はすべて処理され、すでに原審で述べたとおり納税は完了しているので裏金ではなく正規な法人の資金となっている)。

三 金員の使途について

1 実質的な背任横領金額

原判示認定によれば、被告人の背任、横領金額は合計三億三、〇七三万九、五七〇円の多額となっている。しかし、右被害金額の使途を大きく区分すれば、

<一> 内金一億八、五〇〇万円也

判示第一のの刀剣三振の購入代金

<二> 内金五、〇〇〇万円也

判示第一の一の名張自宅新築工事代金

<三> 内金一三、七六七、九一〇円

その他の背任合計金額

<四> 内金八一、九七一、六六〇円

業務上横領(一二六回)の合計金額

となる。しかし右<一>、<二>の背任合計額、二億三、五〇〇万円には前述したとおり、背任の故意の認定に疑問があるほか、違法な手段だったとはいえ、高価な刀剣三振は現に法人に帰属し、被害金は<二>、<三>、<四>のすべてにわたり、被告人から現実に、升償されていることは既に立証したとおりである。

2 横領金額について

被告人が横領した金額は、五年間に一二六回に分け、合計八、〇〇〇万円強の金額に達していることは原判決認定のとおりである。そして、右のような行為の根本的な原因が公私を混同した被告人の病院経営姿勢に存したことも、明らかであろう。しかしながら、一回あたりの横領金額には五〇〇万円に達する事例も二、三見受けられるが、その多くは、一〇〇万円以下の金額であり、極めて悪質かつ計画的な犯行とまではいえず、むしろ、自己がその第一歩から築き上げた病院の理事長であるとの甘えからその都度一時便宜的に病院負担で経理処理させた金額の長年にわたる集積と評価しうる一面を持っているとみることもでき、個々の横領行為についての主観的心情には十分同情の余地があろうと考えられる。

3 横領金額の使途……吉原広子に対する支払

(一) 被告人は前記横領金額はすべて他に費消することなく、自宅に保管し、これに自己の手持金を加えて、昭和五六年五月ごろ元阪和病院理事であった吉原広子に支払い、同女も同金額を受領した旨、これを認めているところである(同人の4/16付検面調書)。

(二) 原判決は右吉原広子に対する支払をとらえて、「公私混同の端的な現れ」(原判決量刑の事情一、2)と厳しく評価しており、右判断は、一応もっともであると云えよう。しかし、原判決のように吉原広子と被告人との過去の個人関係にのみ着目することなく、これより、もう少し広い視野に立って同女との関係を考察してみる必要もあると思われる。即ち、同女は、昭和三三年ごろまだ個人経営の阪和病院が悪戦苦斗を強いられていた時期に被告人と知り合い、病院のため肉体的にも、資金的にも出来る限りの支援をなしたことが認められるのであり、医療法人設立時の昭和三五年には初代理事の一人として参劃しその後も法人の発展に寄与していたものであり今日の錦秀会三病院の基礎を築いた最大の功労者であるということができる。同女は検面調書において、その苦労の一端を

「木造の病院の経営状態は悪く、ガスや電気を止められて、七輪を使うなどといったこともありました。」(前同二項)

「当時は借金取りが押しよせて来ていて、病院では寝泊りできないような状況でした。」(前同三項)

「谷町か上本町のある高利貸しの家へ持っていって返したこともありました。」(前同項)

「支払いは、薮本名義では信用がないので、私名義の小切手を切ってやりました。」(前同四項)

等と自己の経営していた店舗まで処分して被告人や病院のために尽力した状況を供述しているところである。

今日の阪和病院の雄姿とは雲泥の差があり、被告人ならずとも、昔の苦しい時代を想起すれば、何らかの感慨が生じない筈はないと思われる。しかし、その後、同女は健康を害し、被告人の現在の妻規子との関係もあって被告人との内縁関係を解消し、その後次第に疎遠となり、現在は吹田市で貸ガレージ業を経営して生活しているのである。被告人がもし、その恩を忘れ同女をそのままに放置するようなことがあれば、むしろ人間として強く非難されて然るべきであろう。被告人も常々何らかの形で恩返しをしたいと考え続けてきたが、病院の発展に没頭する余り事志と違って今日迄その実現をみなかったのである。しかし被告人が「ガン」の診断を受けたのを契機に何としてでも同女に対する謝恩の念を実現したいと考えて、本件犯行に及んだもので、その心情には十分同情の余地がある。なるほど、その手段方法は違法であり原判決が指摘されるように公私混同のそしりは免れないが、反面単に被告人の個人的なものではなく、そこには前述の被告人と吉原の個人的関係を越え法人発展の恩人に対する報酬という要素も多分に含むものであることは明らかであって、この点は量刑上十分に考慮されてしかるべきと考える。

四 脱税に対する量刑事由について

1 逋脱割合は極めて低率である。

原判決は、本件法人の逋脱率が二五・一パーセントという極めて低率であることは一応肯定されてはいるが十分とは思われない。すなわち過去の裁判例にみられる他の同種逋脱犯の事例はそのほとんど七〇~八〇パーセント乃至一〇〇パーセントという格段の高率であることを思えば、本件の逋脱率は、これらとは格段の差があることを十分に御理解いただきたく、そのため弁護人は原審弁論要旨に他の事例を一覧表にまとめて提出しているので是非十分にご参照賜りたいのである。

2 逋脱額が多額であることの意味

(一) 法人の総所得金額が多額となれば、必然的に法人税額も多額となる関係にある以上、法人の規模が大きくなるに従って逋脱率は低くとも逋脱金額が多額になることはやむをえない現象である。

(二) 加うるに、本件の場合、その逋脱税の内容を見れば青色申告承認の取消(法人税法一二七条)による逋脱税額が全逋脱金額に占める割合が著しく大きいことが明らかであり、この点についても既に原審弁論要旨に詳述したとおりである。従って、本件に於ては逋脱金額が多額に上るとはいえ、その大きな部分が青色申告の取消によるものであること、及び逋脱率の極めて低率であることは量刑上十分に考慮さるべき点である。本件事案は、いずれの側面から検討しても、同種他事犯と比較した場合格段の相違が認められる事例である。

3 医療法人の納税義務とその内容

(一) 検察官は、原審論告要旨において、「医療法人は……その公共性ゆえに種々の規制が加えられ、剰余金の配当禁止により、営利性を否定されているのである。その替りとして、法人税法上は軽減税率の適用等各種の優遇措置が講ぜられ、有利な取り扱いがなされているが……」と述べ(同要旨第二、3)、あたかも、本件医療法人錦秀会が右軽減税率の適用を受けているかの如く主張されているが、全く事実に反するものである。しかるに原判決も右の意見を明確に排斥することなく、本件脱税に極めて厳格な態度で望まれるのは、暗に右の指摘を肯認してのことと考えられなくもないので一言言及する。

(二) いわゆる医師に対する租税優遇措置に対しては、それぞれ、その当否につき、立場上各種の意見があり、不公平税制の是正を求める立場からは常に批判の対象とされていることも事実であろう。

(三) ところで医療法人には、財団と社団の二種類があり、社団には更に、持分の定めのあるものと、ないものとに区分され、今日、多数存する医療法人は、持分の定めのある社団法人が全体の八〇パーセントに達している。医療法人錦秀会も右持分の定めのある社団であり、その持分は被告人ら一族に帰属しているのである。

(四) 対税上、検察官の主張するごとく税率の軽減の優遇措置を受けられるのは、医療法人のすべてではなく、右のうちの財団である医療法人および持分の定めのない社団である医療法人のうちで政令で定める要件をみたし大蔵大臣の承認をうけた医療法人に限定されているのである。これらの医療法人は「特定医療法人」と称せられ軽減税率二五パーセントの優遇措置を受けている(現税特別措置法六七条の二)。勿論医療法人錦秀会は、前述のとおり持分の定めがある社団であり、右の適用を受けられず、通常の株式会社等の営利法人と同等の税率(四二パーセント)により法人税を課せられるのである。(法人税法六六条)(尚、同法人に対する地方税(府市民税等)をも合わせると税額は五二~五三パーセントに達する。)。

(五) このように、医療法人といっても種々の種類区分があるのであって、これを一率に決することはできないことは、明らかであり、又、今日個人開業医の大口脱税事犯の新聞報道をよく目にするが、その事例と本件の場合とを一率に同列に評して、悪質な脱税事犯とすることは、前記の如き事情、すなわち逋脱率の著しい低率なこと、社会保険診療手続に全く違法な点がなかったこと、即ち不正診療とは認められないこと等の事実に照らせば明らかに両者の差を無視した混同というべきであろう。すなわち、本件事案はこれら不正診療がその根底にあって大きく脱税を行なっている他事案とはその性質を根本的に異にする事情を十分にご認識賜りたいのである。

(六) また、医療法人はその性質上非営利法人と観念されそのため剰余金の配当は禁止されている。しかしながら、医療法人の医療業務は純粋に公益性のみを追及する側面のみから成立っているものではなく、医療業務に対する対価の獲得とそれによる運営を予定しており、公益法人のような積極的な公益性までは要求されておらず、この点で民法上の社団、財団とも異なる。それ由に、昭和二五年、医療法が改正され、この中間的性格を持つ特殊法人として医療法人の設立が認められたものである。ところで、医療業務は、公的な病院(国、公立病院)を除いて、私的には、右のような医療法人のほか、学校法人、社会福祉法人、民法上の財団、社団法人等でも行なわれるものであるが、医療法人を除いては、医療業務を主とするものではないか、あるいは他の主たる運営に付随して病院を経営してるのでその運営は、医療収入のみに依存することは少なく、経営上の欠損は、他の何らかの方法により、補填されることになっている(勿論、国、公立病院等は各種の補助金により恒常的に欠損が補填されている実情にある。)。

しかしながら、医療法人は、医療収入のみにより、運営を維持する以外に方法がなく、他から欠損を補填する術はなく、万一経営が悪化すればたちまちにして、倒産の事態に立ち至らざるをえない。それ由に、医療法人は、その経営により収益をあげ、その収益により病院を運営し、剰余金が生じた場合には、万一の場合に備えて各種の準備金を積み立てるなどしてその経営基盤を少しでも確実なものにしようと努力しているのが現状である。

4 診療収入―保険診療

(一) ところで、医療法人の医療収入のうちで保険診療収入の占める割合は大きく、医療収入を揚げるためには、保険診療収入の確保増大が不可欠である。そこで、多くの病院、個人医院とも保険点数を念頭に置いて治療行為を行ない、許される範囲内で保険点数を揚げるように努めているのが実情である。しかし、右のような配慮は現行保険制度の下ではやむをえない面もあり、殊に、医療収入のみに依存せざるをえない医療法人等の私的な医療機関ではその要請は決して無視しえないと思われる。その結果これが行過ぎれば不当に保険点数を揚げるため濃厚診療、薬漬け治療といった弊害あるいは不正請求といった極端な事例が生れるのが実態である。今日厚生省により摘発された事例には、全国平均の保険点数の何十倍という不当な保険診療報酬を請求していた事例や国立である東北大学付属病院でさえ不正請求が摘発されるという例があったのである。

(二) しかしながら、医療法人錦秀会は、前述したとおり本件を契機として大阪府医療局から保険診療報酬請求につき調査を受けたが、何らの指摘も受けておらず、不正請求は勿論濃厚診療と評価されるような事実もなかったことが明らかにされた。検察官はしきりに濃厚診療の疑いがある旨主張されるが、前記のように私的医療機関の収入の実情と運営の実態が保険診療報酬に依存せざるをえない真実をことさらに誤って主張するもので不当である。

(三) 又、原判決は、医療法人錦秀会が赤字経営に陥入っている現状と従前の黒字経営とを対比して、濃厚診療を否定しつつも、言外にその疑を肯定するかのような口吻を匂わせこの黒字経営に果した被告人の役割を不法なものと評価している節がある(原判決量刑事情二、3)。

しかしこの点は全く不当な評価というほかない。本件後に於て病院経営が赤字になった原因は後述のとおりであり決して本件前に於て濃厚診療を行っていたものを改善したからという理由によるものではない。原判決の右評価はこれらの事情を無視して黒字であったとの一点をとらえてのいわれなき評価であり、被告人のこれまでの努力をわい曲するものである。

のみならず保険制度ないしは私的医療機関の実際についての理解を欠く一方的な見解であり、更に云えば、全く証拠に基づくことのない誤った知識を前提とする判断というほかない。

五 本件各犯行の背景的事情

1 医療法人の私物化

(一) 不服の要点

原判決は、量刑の事情随所において被告人の公私混同あるいは法人の私物化を厳しく批判し、この被告人の態度が今回実刑判決の厳しい宣告をするに至った大きな理由の一になっていると思われる。

右判決の基本的な考え方に対しては、弁護人としても同感であって、法人と個人とを区別することなく漫然と事業を運営する場合には、第三者に対し不当なまでに予期しない損害や迷惑を及ぼすことがあり、厳に自重し、明確にその都度いずれの立場で行動しているかに配慮すべきことは当然というべきものである。従って、この基本的な考え方を欠落した被告人の態度に対し、厳しい批判がなされるのも又当然というべきであろう。

しかしながら、なるほど法人に損害を及ぼす背任、横領とはいっても、当該法人と被告人とは密接不可分な関係にあったことも事実であってみれば、その批判の程度、あるいは公私を峻別すべく期待することの可能性についての原判決の評価判断にはやや形式的な面が窺われ被告人に余りにも過酷すぎると思われる部分もあって全面的には賛同することはできない。

(二) 一心同体的心情

(1) 原審において被告人と同様医療法人の理事長として三つの病院を経営する山本東美雄証人は、同人と医療法人との関係を「法人と個人とは別なものであることは理解しているが、しかし私が一人で築いてきた病院なのだから、気持の上ではやはり一心同体という感じである」旨告白している。この気持あるいは心情は、何人といえども容易に理解されるものであろうと思われる。

医療法人錦秀会は、被告人ら一族の全額出資により設立されたいわゆる同族法人であり、実質的には被告人の一人法人ともいうべきものである。すべての権利、義務は、形式上法律上は法人に帰属するものの、実質的には、直接的に被告人個人に属するものである。このような関係は、一般的に営利法人たる株式会社等にも多く存在する。そして、それがために個人と法人との形式的な区別から生ずる各種の弊害を排除する必要が生じ、法人格否認の法理等の新たな理論構成が最高裁判例としても許容されているところである。

そこで、医療法人の性格については前述したとおりであるが、実際的には医療法人のほとんどが同族法人であり、理事長とその親族において社団を形成し、実際上の運営は、理事長個人がすべてを担当している事情にある(山本証言ご参照)。

このような実情のもとで、なるほど法人と個人との区別は無視されてはいないが、心情的には法人即個人の意識は強く、峻別する気持よりもむしろ一体である気持の方が強いと思われ、法人の利害はただちに個人の利害と同一視し、法人の栄枯盛哀は、ただちに代表者個人の栄枯盛哀といった心情にあるものということができる。

(2) また、第三者の側も、法人と個人とは一応区別はしているものの、その実態に於ては決して別々のものとは認識せず、法人取引においても必ず個人の保証を要求しているのが実情である。なるほど大きな営利法人で経営と所有とが明確に区別されているような会社の場合にも代表者の個人保証を要求される場合も少なくないが、この場合、法人と代表者とは峻別されており、個人は代表者であるが由に個人保証が要求される関係にあり、代表者を辞任すれば当然個人保証の責任も当然免除され、この場合の個人保証の相続性についても種々の見解があり、これを否定する考え方も有力であることはご承知のとおりである。

しかしながら、同族会社の代表者の個人保証は右とは相当その意味を異にし、法人の信用はより多く個人の信用の如何にかかっておりその個人保証の持つ意味は前述の大法人の場合とは比較にならない程の重要性を持つものであり、実質的には個人が主たる責任者との観念の下に、個人所有のすべての資産の提供を前提とされ、勿論相続性も優に肯定されているところである。

(3) 被告人も、右のように医療法人錦秀会の理事長として、法人のすべての債務につき直接的に責任を負い、後に立証するとおり現在合計約一六〇億円の法人の借入債務に対し、すべて個人保証を行ない、かつ、自己又は関係会社のすべての資産を右借入債務の担保として提供している実情にある。そして、この関係は、今回の事件により理事長を辞任した現在も変りなく、法人のため個人保証責任を負っているのである。以上のとおり、医療法人錦秀会の存立は、なるほど法人の存在を前提とするものであるが、実質的にはこれと一体の関係にある被告人個人の責任のもとに成り立っているのであって、所有と経営とが明確に分離された大規模な法人たる株式会社や公的な機関の代表者とは大いに趣を異にする側面があることは十分に理解されるべきである。

2 同族法人の弊害

(一) 前述のような側面があるがため、他面では原判決指摘の弊害が生じていることも否定しえないところである。そして、本件被告人の場合もその例外ではなく、ワンマン経営者として各種の弊害を生じさせてきたことは明らかであり、被告人の責任は決して軽視しえないと思われる。

(二) しかしながら、右各種の弊害は、今回の事件を契機として根本的に改善され、事件後一年数ケ月を経過した現在もその基本方針に則って実行されつつある。被告人も全面的に現理事長斉藤周逸弁護士に法人運営を一任し、その指導監督の下で後述するとおり被告人でなければなしえない各種多様な病院運営上の問題の解決のため日夜尽力している実情にある。

3 被告人個人の私的生活

(一) 被告人のワンマン経営は、同被告人の個人的な私生活の乱れにまで発展してしまったことは誠に遺憾というほかなく、被告人の身体的事情を考慮しても尚、被告人の自戒を求める必要があることは、原判決の指摘のとおりである。

(二) ところで、被告人は本件の捜査、公判を通じて十分に反省し、直ちに私生活を清廉にすべく、弁護人らの助力により現在すべての女性関係を清算し、前述のとおり重要な阪和三病院の運営の正常化に努力する生活を続けるとともに、これまでの乱れた生活を悔悟し、自らの精神修養を志し、知人の紹介により信仰の道を求め、出来るだけ時間を作って修法の道を実践しつつあり、この実践を通じて反省と今後の生き方を模索中である。

六 救急医療、地域医療に果した貢献―被告人の生きる道

1 これまでの貢献

(一) 被告人が昭和三二年以来築き上げてきた阪和病院の大阪市南部地区を中心とする地域の医療に果した役割については、既に取調済の各証拠により明らかである。卒直に云って、その貢献度は決して軽視しうるものではなく、この点に関する長期的にわたる被告人をはじめとする阪和病院関係者の日頃の努力に対しては敬服に価するものがあり、この点は特に高く評価さるべきである。殊に、大阪市域の行路病人、貧困者、老令者に対しても分けへだてなく医療を施すことをモットーとしてきた阪和病院の姿勢は、単に言葉だけでなくその実行を伴なっているだけに貴重である。

(二) 又、救急医療に対する尽力も絶大なものがある。

歴史的にみても、昭和四〇年前後ごろ、多くの病院、個人医院は休日夜間の救急医療を拒否していた。このような事態は昭和四八年ごろまで継続した。その理由は表面的には救急体制の不備を掲げるものの、真実は医療従事者の利己的な要求もかなりあり、救急医療体制の欠陥は、大きな社会問題となっていた。病人やその家族にとって、休日や夜間に病状が悪化し、あるいは突発事故に遭遇したときほど不安は大きく、ようやく、救急車に収容され病院に搬び込まれたのに、休診とのことで治療を拒絶され、更に他の医院、病院を転々とせざるをえなかった事例は当時しばしばマスコミの問題とされていたが、このような事実ほど非人道的なことはなく、医療体制の大きな欠陥とされていたのである。

阪和病院は、右のような状況にあって、他の病院に先がけて救急医療に力を入れ、医師をはじめとする医療従事者の確保、救急車輌の購入等に腐心し、当初は第一次救急施設として、診察のみを行ない、その後第二次救急施設としての体制を整備し、入院治療まで行ない、更には昭和五三年には第三次救急病院として高度な技術と施設を持つ阪和記念病院を作り、救急患者の最終的な治療まで担当するに至っているものである。この第三次救急病院は、医療の高度な人的、物的両面からの整備がなされなければ指定されないものであり、今日でも私立病院がその指定を受けているのは大阪府全域でも阪和記念病院等二、三を数えるだけである。

最近ようやく前記のように事態は担当医制度などの導入によりほぼ解消されたが右の救急体制の整備に尽した被告人の功績も決して無視しえないものがある。

このように、阪和病院は他の医療機関がこれを敬遠する中で、救急医療に卒先して貢献すべく尽力してきたのであって、その貢献は絶大と評価しても過言ではない。

2 現在の貫献度

(一) 阪和病院は今日では大阪市南部地区の医療機関の中心的存在となっている。医療施設の充実と医療スタッフの優秀さからすれば当然のことであろうと思われる。阪和病院の存在により、他の病院、個人医院も、自己の下で治療の限界と考えた場合には、阪和病院に依頼して患者を引き取ってもらい阪和病院での更に高度な治療あるいは長期的な療養に委ねているのが現状である。このような相互の医療機関のいわば任務分担により円満な医療体制が成り立っているのである。そして、又今日高令化社会といわれる中で老人患者は急増し、その対策は緊急を要するものである。被告人が阪和泉北病院の増設を計画し、実行した動機もここにあり、意欲は正当であり、何よりもその目的に不純なものはないことは評価すべきである。そして今日阪和三病院が全部完成して、ようやく円満かつ機勤的に運営されはじめた当初の段階にあり、今後一層の工夫と努力が必要とされることも当然である。

(二) 原審山本証人は、阪和病院の現在果している役割について裁判官から「錦秀会がストップすれば、大阪府下の救急医療体制は混乱が予想されるか」との尋問を受け、「大混乱になると思います。」と証言していることからも明らかな如く、現在果しつつある阪和病院の医療は地域住民あるいは救急患者にとって不可欠のものであり、一刻といえども中止することができないものとなっている。

現在、阪和三病院に入院中の患者は約二、〇〇〇名に達し、通院してくる患者数は一日平均五〇〇名であり、救急患者数は毎月平均六〇〇名という現状を冷静にみれば、錦秀会が果している役割は、山本証言のとおりというほかない(尚、入院患者数が二、〇〇〇名というような病院は、日本全国中に阪和病院を除いては存しない。)。

(三) このような大病院への設立運営に身命を賭して貢献してきたのは被告人である。被告人であればこそなしえたものと評価しうるし、又、現在及び将来においても、被告人なしには正常な運営はなしえず、又、仮に余人がこれを行なうとしても、被告人の真撃な物心両面の助力なくしてその運営は不可能であることも後に詳述するとおりである。

(四) このような阪和病院の現状と被告人の立場を考慮して、私立病院協会所属の関係者の多くは、被告人の処分の寛大なることを上申し、又、阪和病院の患者、従業員あるいは地域住民ら通院患者も心から被告人の更正と阪和病院の正常な継続的な運営を希望し、その旨嘆願しているところである。その数は現在合計三七、〇〇〇名にのぼる。

七 本件後の事情

1 被告人の反省の態度は顕著である。

被告人が本件各犯行並びにその原因についても強く悔悟し、反省している事実は、捜査、公判を通じて一貫しており、そのためにすべての公職、私的な役職を辞任し、理事長斉藤周逸弁護士の監督の下で莫大な赤字が生じつつある阪和病院の経営立て直しのためにのみ努力している。これらの事情もすべて上申書(一)、(二)に記載したとおりであり、現在も不変である。尚、残念ながら、再建計画は、当初、予定どおりにはこばず、欠損が拡大しつつあったものの、被告人を含む全関係者の努力により本年夏頃からようやく回復の兆しをみせ欠損は次第に縮少されつつあり一年間の赤字解消に向いつつある現状である。

2 納税の完了と被害弁償の完了

この点も既に一審公判中にすべて完了し、その旨証拠提出したとおりである。結局、被告人は本件のために現在新たに、弁償金支払のため第三者から借入を行ない、今後その返済をなす義務を負う結果となっている。このような事態に陥ったのも被告人の責任であり被告人はその責任を痛感しているところである。そして被告人は今後どのような事態になってもこれがために医療法人の将来の運営に支障が生することがないよう身命を賭して万全の配慮をなす決心である。尚、医療法人錦秀会に対する法人税法違反事件に対する控訴は昭和五八年八月取下げ確定した。そこで同法人は、罰金一億三千万円を昭和五八年九月末日に五、〇〇〇万円、同年一〇月二〇日に八、〇〇〇万円を二回に分割してその納付を完了した。分割納付したのは法人には現在多額の欠損があり、資金繰り上やむをえず右の措置を申出了承されたものである。

3 被告人の身体的事情も決して良好ではない。

被告人は現在満五七才である。体格が良いことから外見的には異常は発見しにくいが、一審で立証したとおり、本件各犯行の重大な動機でもある前ガン症状の病状は現在も変らず、阪大病院あるいは自己の阪和病院の担当医の指導監督下で状況を診察しつつつ日々の活動を行なっている状況にある。

被告人の妻をはじめ子供らも父親の病状を案じ、無理な仕事を差し控える様に望んでいるが、前述し、後述する病院の現状からそれも許されず、出来るだけ節制を心掛けつつ休むことなく働いている状況でもある。

八 被告人が実刑判決を受けることによる打撃について

1 病院の信用に及ぼす影響が極めて重大である。

本件の捜査によって、病院の信用に及ぼした影響は極めて甚大であった。その結果は、昭和五七年五月以降本年五、六月頃迄の収入の激減に顕著に示されている。右収入の激減の原因としては、行政指導による入院許可ベット数の減少が最も大きく響いていることは勿論であるが、理事長であり本院の院長であった被告人の逮捕勾留に引続く本件起訴という事実が報道されたことにより患者あるいは地域の人々に与えた不安、信用の低下による受診あるいは入院希望の激減もまた極めて大きな原因となっている。また病院の従業員に与えた精神的ショックもまた甚大であり、明日にも病院が潰れるのではないかという不安、あるいは患者や他の病院の従業員らに対する劣等感といった精神的な落ち込みも、決して見逃すわけにはいかない。

しかし逸早く、斉藤新理事長が就任し、従来のワンマン経営の弊害を逐次改めつつ、病院内の体制を建て直す一方、忠実に行政指導に従った経営をすすめることにより、現在では徐々にではあるが、世間の信用と従業員の自信が回復しつつあるのである。そして、病院の従業員、患者あげて被告人が一日も早く、執行猶予の判決をうける日を待望んでいたのである。

しかるに本年四月一審で意外にも実刑判決を受け、これにより病院内の従業員の不安感はまた高まりつつあり、一体病院は将来どうなるのであろうかという不安は口にこそ出さないまでも、従業員の間に徐々に広まりつつあるのが現状である。現状に於ては、控訴審での御温情に期待し、表面的な動揺は辛うじて押えてはいるものの、千数百人の従業員の心の底には、もし、被告人籔本の実刑が確定して服役するような事態になれば、間違いなく病院は倒産するであろうという不安が充満していることは明らかである。

現在は、元大阪高検々事長である斉藤周逸弁護士が理事長に、仁藤弁護士が理事に加わり病院の経営を任されてはいるが、何と言っても両名は法律家であって事業経営の経験もなく、まして病院経営についての知識や経験がある訳ではない。勿論、金銭上の信用がある訳でもなく、病院経営の実際に於ては、常に被告人の知識と経験に頼り、その意見を聞きながら、良いところをとり悪いところを捨てて経営に当りつつあるのが現状である。

したがって、理事長あるいは本院々長の職を退いたとはいえ、被告人は病院経営の柱となっているといっても決して過言でないのである。もし、被告人の実刑が確定して、服役を余儀なくされることになれば、病院の経営はその柱を失い倒産に至るであろうことは時間の問題ということができる。

2 病院経営上被告人の存在を不可欠とする理由について

被告人が現在においても病院経営の柱であるという理由はつぎの諸点に照しても明らかである。

(一) 医療法人錦秀会の出資持分の全部が籔本一族の所有であることは別としても、現在法人が抱えている金融機関からの借入金は約百六十億円である。この借入については法人所有の不動産は勿論、関連会社や被告人個人所有の不動産が悉く担保に供されており、かつ個人保証がなされている。前記のような経営上の危機にありながらも、債権者たる金融機関が、今日迄病院経営に協力的であるのは決して斉藤理事長の信用や手腕によるものではなく、一重に、被告人籔本の従来の信用に基礎を置くものである。現在の病院経営の実績が毎月赤字であるにかかわらず、一応経営を続けてこれたのは、過去の蓄績への依存と、被告人の経済的信用とによるものである。その意味で、これらの金融機関も、被告人が執行猶予の判決をえられるか否かに重大な関心を寄せており、もし実刑確定という事態になれば、従来の協力的態度を一挙に変更して債権の取立、確保の厳しい手段を講じてくるであろうことは必至である。そのような事態に立到れば、何ら経済的信用を持たない現理事長以下の力をもってしては、病院の倒産を喰い止められないことは、明らかである。そしてそのような事態に立到れば、千数百名の従業員は、その職を失うこととなる。また同時に約二千名の入院患者の他病院等への移転等も考えなければならないが、二千名もの入院患者の転院を受入れてくれる施設は全くなく、実際には不可能に属する。しかも今後の救急患者の受入は壊滅的な状況となるのみならず、地域住民の医療体制に重大な混乱を招くことになることは容易に予想されうるところである。一審裁判所が、実刑の判決をされるについて、もしこの判決が確定すれば、右のような由々しい社会的混乱を招くことになるであろうことを考慮に入れられたであろうか。原判決文からは、これらの点への配慮があったとは到底推察しえないのである。そのような事態になったとしても、それは結局被告人の責任であるといってしまうことは簡単であろうが、そのような混乱によってあるいは生命を失うことになりかねない患者の存在を考えれば、裁判の結果により右の事態を招来させることは、如何にも社会的妥当性を欠くといわざるをえないであろう。

(二) さらに被告人の存在を不可欠とする実質的理由の一つは、医者の補充の問題である。当法人の三病院は従来主として大阪大学その他二、三の大学から医者を派遣して貰っており、これが中心となって医療が行われてきた。しかしながら、これらの医者の人事権は、大学側が握っており、大学が医者の派遣を拒否すれば、たちまち病院の医療はストップすることになるのである。

本件の捜査の過程に於ても、大学側には理事長である被告人が、刑事責任を問われるようなことであれば、大学からの医者の派遣は、見合わさざるをえないとする空気が強かったのであるが、保釈後被告人が、大学側に真情を訴えて協力を懇願した結果辛うじて、現在の陣容を確保しえたのである。しかしながら、もし被告人の実刑が確定するようなことになれば、そんな不安で、不名誉な病院に、大学から医者を派遣しておくことは、大学の名誉にも関するという論が起ることは必至であり、医者の引揚げという事態も容易に想像しうるのである。また、大学側の人事の都合で、大学や他病院へ転勤される医者の後任の接渉というような極めて重要な問題も、医者の資格を持たない理事長では到底その任を果すことはできず、それらのすべてを被告人に頼らざるをえないのが現状である。また医者の勤務状態の監督、治療成績の査定等は、医学的知識がなければ出来るものではなく、実質的に医者によく働いて貰うためには、医者である前理事長、すなわち被告人の力を絶対に必要とするのである。そして、病院が繁昌するかどうかは、良い医者がよく働いて患者を満足させる医療サービスが出来るか否かにかかっているのであり、この点に関するノーハウは医者であり、かつ永年病院を経営してきた被告人の手腕に頼らざるをえないのである。看護婦、薬剤師、あるいは他の病院従業員の管理や監督は、医者でなくとも通常の管理能力があれば、素人でも可能であるが、専門家である医者の管理監督は、専門家である医者でなければ、到底これをなしうるものではなく、このことが現理事長が最も頭を痛める問題の一つであり、かつ病院経営の核心を握る問題なのである。この点につき、優れた経営能力を持つと同時に医者である被告人の力にどうしても頼らざるをえない現状であることをご理解願いたいのである。

3 正常な経営のチェック体制の確立

前記のように、病院経営の重要な問題について被告人の力を必要とし、これなくしては病院の経営は成立たないのであるが、反面、被告人が従来やってきたワンマン経営による欠陥を再び実現させてはならないこともまた当然であり、そのための組織の確立が強く要請されるところである。これに対しては、つぎのような対策をたてて現在実施中であり、被告人もまた、如何なることがあっても、過去の過ちを繰返さないため、将来共理事長への復帰を求めることがないことを誓約しているのである。

(一) 行政の指導の忠実な実行

この点については、斉藤理事長の強い指示で、積極的に行政からの指導を受け、その指導の確認と実行の報告を励行しており現在監督の立場にある行政当局からは、この点につき高い評価をえている。その結果削減された許可ベッ卜数も逐次増床を許され、かつ、基準給食も本年八月から再認可されて実施されている現状にある。

(二) 現理事および従業員による監視体制

行政の指導に従った適法にしてかつ適正な医療業務を行うためには、絶えず、これらを監視する機能をつくらねばならない。そのため被告人が理事長の時代には殆んど開かれることがなかった理事会を毎週金曜日に開催して、各病院からの業務の状況の報告を受けて、これをチェックするほか、三病院の院長、副院長で組織する院長会議及び、三病院の事務長局長などを中心とする事務長会議も定例的に開催して正常な事務運営についてのチェックを行っている。そのほか院内に提案制度を作り、広く従業員からの積極的な提案を受け入れる制度を作って、民主的な業務運営に努めている。

(三) 被告人の決意

極めて重要なことは、これらの正常化への努力に対し、被告人は深く賛意を表しており、かつ斉藤理事長の厳格清廉な人格に傾倒して、今後も永く理事長として病院運営に当って貰うことを積極的に望んでいる点である。もし、当審の御温情により、執行猶予の御判決をえられた場合に於ても、執行猶予期間中は勿論、その後においても斉藤理事長の健康が許すかぎり理事長として努力される意思を表明されており、被告人は勿論これに全面的に賛意を表し感謝しているのである。

第四 おわりに

昨年四月一日大阪地検特捜部の捜査を受けてから今日迄の一年有半の期間は、医療法人錦秀会にとってはまさに生死の境を岐ける時期であった。本件によりもたらされた社会的信用の失墜は、病院経営にとって重大なマイナスとなり経営の危機ともいうべき状況が今日迄続いてきた。しかしながら、斉藤理事長を初め全従業員の努力と、被告人の陰の信用と力とによって、現段階ではようやく正常運営に戻り、赤字克服の可能性が信じられる状態となった。しかしながら被告人が一番で実刑判決を受けたという事実は、病院経営の将来に極めて大きな不安として重くのしかかっている。

しかし二千人の入院患者を持ち、地域医療と救急医療にとって欠くべからざる病院である医療法人錦秀会の三病院を、どんなことがあっても潰すことはできないという一念で、被告人は勿論斉藤理事長以下全従業員が結束して努力した結果ようやく現段階にこぎつけたのである。

しかしながらもし、被告人の実刑が確定することになれば、この一年有半の努力は一朝にして水泡に帰すると共に、重大な社会的混乱を招くことになるのである。

また被告人の健康状態は、なお前がん症状が進行しつつあって、決して予断を許さない状況にある。もし実刑により二年の刑に服することにでもなれば、被告人の生命への危険も考えなければならないというべきである。

かかる情況をよくご理解願い、犯行の態様に於て汲むべき情状、および本件犯行による被害の回復状況等を参酌されて、是非共執行猶予の判決を賜りたいのである。

昭和五八年(う)第一〇三五号

○ 控訴趣意補充書(一)

被告人 籔本秀雄

頭書被告事件につき、さきに提出した控訴の趣意につき、左記のとおり補充する。

昭和五九年四月二六日

右弁護人 仁藤一

同 右 本井文夫

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

一 原判示第一の一(背任)の事実誤認について

1 被告人に背任の故意がなかった点について

(一) 本件の事実関係中、被告人に背任の故意を認めうるか否かを決するためには少くともつぎの三点についての検討を必要としよう。

その第一点は、本件工事を米田工務店に請負わせる時点の意思がどうであったか。

第二点は、旧病院の建築工事の内容を変更した時点で、田村建築士について如何なる指示をしたものと認定すべきであるか。

第三点は、工事完成後、代金支払の時点で被告人は如何なる意思で関与したか。

以下右の三時点に於ける被告人関与の事実関係について以下に検討を加える。

(二) 工事の請負契約締結時点での被告人の意思について

(1) 被告人が、自宅の建築について米田工務店に依頼した経緯については、被告人の四月九日付検面調書第二項に述べる通りである。右供述によると、被告人はまづ山田工務店に見積りを出させたところ、一億八千万ないし一億九千万円の見積りが出たためもっと安く作るために、昭和五一年十一月末頃米田工務店に見積らせた。ところが、その見積の金額は一億七、二五〇万円ということであったが、米田工務店側から改めてどれ位の予算ですかと聞かれ、坪七〇万円位でやりたいという話をした。その結果米田工務店で再検討の結果、坪七〇万円で工事ができるという返事であったので、昭和五一年二月十七日被告人と米田工務店との間に請負代金一億五百万円也で工事請負契約を締結したのである。

右検面調書末尾添付の工事請負契約書がそれであり、この時点では、被告人が希望する自宅を坪当り七〇万円で建築して貰えるという認識であったことは疑う余地がないし、右契約書の当事者名が被告人個人となっている点からみても個人として支払う意思であったことは明らかである。

(2) ところがその頃やはり名張所在の病院所有の倉庫の改修及び旧病棟を養老院に改築することにし、その工事も米田工務店に請負わせることとし、右自宅の請負契約と同日である昭和五二年二月十七日、右工事を一億六千七百万円で請負わせる旨の契約が医療法人阪和病院理事長と米田工務店との間に成立している。この契約書の記載からみてこの工事代金は医療法人に於て支払う意思であったことも明らかである。

右二つの契約の形式からも明らかなように、被告人は、自宅の建築と病院の建築とは明瞭に区分していたものであり、自宅の工事費を少しでも安くするために代金の一部を病院の建築費に振向けさせようとか、あるいは、自宅の建築を安くあげさせるために、病院の工事代金をあまく算定させようとしたなどという意思等は徴塵もうかがわれないのである。もし被告人が、病院の金を少しでも自宅の建築資金に振向けたいという意思があったとすれば、最初の契約の時点で、いくらでも、そのような意図を実現する方法があったと考えられるのに、被告人にはそのような意図があったことを疑わせるような事実は全くない。

(三) 工事内容の変更時点での被告人の意思について

(1) ところが、当初養老院に改修する心算であった旧病棟も結局名張市当局の反対のためこれを断念し、旧病棟も倉庫に改修することに変更し、その旨を監理技師である田村弘を通じて米田工務店に伝えた(被告人の四月九日付検面第四項)。

(2) 自宅及び病院の建築については、被告人はその監理を一級建築士である田村弘に委任し具体的な建築施工については、同人の判断に一任することとして工事を進めた。そのため、被告人は工事期間中一度も現場を見に行ったこともなければ、工事内容の変更について米田工務店側とも話をしたことがない。

(3) 田村弘の検面供述(三月十五日付)によると、右工事の進行ならびに、工事内容を変更した経緯について、つぎの事実を認めることができる。

(ア) 田村が工事の監理を引受けた後米田工務店との間に、自宅の工事の打合せをしたが、この時点ではごく大雑把な図面しか出来ておらず、田村が被告人に会ってその意向を聞き、米田工務店との間に具体的なプランを作成して契約にこぎつけたが、この時点では坪当り七〇万円で工事を完成させることになっていたものである(同人の右調書第四項)

(イ) 契約後は田村が自分の判断で被告人の意向に応じたスケッチをして、工事を進めさせた。被告人からは、元の設計図のうち、和室四室は、およそ、そのとおりのものを作って欲しい、総面積は余り変えないで欲しいといった程度の大筋のことを言われるだけでそれ以外の事は田村の判断に任された。

(ウ) その後の工事の進行については、田村と米田工務店との間で交渉が進められ、田村の判断によって玄関、和室の柱、造作材等について一々検査のうえで使わせるようにして進めていったところ、坪当り七〇万円では、満足のゆく工事が出来ないことが分ってきた。そこで五二年四月中頃田村がロータリーの会合で、被告人と会った際田村から「旧病棟は倉庫に使われるのであれば、屋根、外壁、床等の改修で十分なのではないですか。住宅の方は坪七〇万ではとても出来ないので、旧病棟の工事も含めて、トータルで考えて、旧病棟の予算を住宅の方に回したらどうですか」と進言した。どれ位廻せばいいのかについては、その頃の時点では二、〇〇〇万円位ではなかろうかと思っていたが、この時には特に金額は言わなかったと思う。

(エ) 被告人は右田村の進言を聞いて

「旧病棟の方は、倉庫に使える程度でいいから、トータル的に考えて欲しい。あなたに全部まかすから、よろしく頼む」という風に言った。

(オ) 右のとおり被告人の了解をえた後、田村はその旨米田工務店に伝え、爾後の工事はすべて田村と米田工務店の担当者との間の打合せによって進められ、五三年四月に完成した。個人住宅の方の総工事費が、具体的にどれ位多くなっているかは正確なことは田村にも分らないし、当初は二、〇〇〇万円位余分にかかると思っていたが、完成時点では三、五〇〇万円位多くなっているのではないかという感じであった。

以上が田村の検面供述により認定しうる事実である。

(4) この点についての被告人の検面供述(四月九日付)はつぎのとおりである。

(ア) 田村さんと阪南ロータリーの会合だったか、そのほかの時に会った時だったかでしたが田村さんから「旧病棟を倉庫にするのであれば改修工事は、屋根、外壁、床の改修で十分とちがいますか。住宅工事の方は坪七〇万円ではどうしてもしんどいから、この際旧病棟の方の予算も合せて、トータル的に考えて、工事をすればどうでしょうか。」という話がありました。(中略)そこで私は田村さんの話に対して「それならトータルで考え工事をしてほしい」と頼み、田村さんに任せた訳です。

(イ) 右の田村からの話のあった意味について、被告人は、私個人の家の工事費と病院関係の工事費用を合せると、二億七、二〇〇万円ですが、その内私の住宅の工事費用予算額一億五〇〇万円では金額が不足するが、その代り旧病棟の改築の予算一億二五〇万が養老院から倉庫に使用目的が変わった関係で工事費用が一億二五〇万円よりも少なくて済むからその余った費用を私の屋敷の工事費用の方に廻しても、トータル的には二億七、二〇〇万円を超えないのであれば、いいのではないかという趣旨の話をされた訳です。

と供述している。

(5) 前記田村及び被告人の検面供述は重要な部分に於て一致し、十分に信用に価すると思われるが、右両者の会話の意味するところはつぎのとおりであると理解することができよう。

(ア) 個人住宅の方は、坪当り七〇万円の予算では、満足なものを作ることは難しくなった。しかし、同時に進行中の旧病棟の方は改築の目的が変ったので予算よりも安く上りそうであるが、個人の住宅の方がいくら予算がオーバーし、旧病棟の方が何程安く上るかは分らないが、両者の予算額の総枠を超えない範囲であればよいという趣旨で了解して欲しいという田村の申出を被告人が了承した。その範囲で、住宅の方に幾ら位かけ、旧病棟の方に幾ら位かけるかは、田村に一任するということになった。およそ以上のような趣旨と解することができ、それ以上、病院すなわち、法人の方の金で、個人の住宅の費用を支払ってもよいというまでの趣旨をも含むものとは到底解することができない。

(イ) 田村の供述によっても「旧病棟の予算を住宅の方に廻したらどうか」という話をしたというのであり被告人の供述によっても「旧病棟の方の予算も合せてトータル的に考えて」と述べている点からみて、いずれも予算が二つの建物の予算の合計額を超えないという趣旨にしか理解できないのである。この話があった時期は、建物の完成する約一年前であり、これから実際に建築をしてみなければ、どちらに何程の建築費がかかるか分らない時点での話合いであるから、とに角予算の総枠が両者の合計額を超えない範囲で一任するから宜敷く頼むという極めて大雑把な合意に過ぎないのである。

(ウ) この点の田村の供述によっても、右の時点では、予算超過分は二、〇〇〇万円位ではなかろうかと思っていたが、この時には被告人に対し金額のことは言わなかったというのであるから、被告人は、坪当り七〇万円では無理だという田村の申出は理解できるとしても、それ以上におよそ幾ら位余計にかかるのかという点については全く認識がなかったものと認むべきである。

また田村の方にも、およその見当を述べる自信もなかったのであろうと推測しうるのである。もし、その見当がついていたとすれば、およそ幾ら位の予算オーバーということを告げて了解を求めるのが通常であろう。したがって、とに角両者の合計額が予算を超えない範囲という極めて大雑把な合意になったものと理解できるのである。

(エ) したがって、この時点での被告人の内心の意思としては、要するに、個人の住宅の方で超過する予算の金額が、法人の方の建物の予算が減少する範囲内であればよいというだけのことであったとしか認定しえないのである。その時点でさらに法人の建物が予算よりも少く済んだのに、黙って、あるいはこれをことさら秘匿して、予算額通りの金額を米田工務店に支払わせ、その差額分を個人住宅の方の支払に充当させようとした意思があったとまで認定することは到底できないのである。むしろ、被告人としては合計二億七千二百万円の枠内で工事を進め、実際に出来上ったところで、個人住宅分幾ら、病院改築費幾らという精算をさせる意思であったと認めることもできるのである。少くとも、この時点に於て、被告人の意思の中に確定的に幾らの金額を法人の方から個人住宅の方の支払に廻させようとする趣旨があったという認定はできないのである。

(四) 建物完成後、請負代金支払時点に於ける被告人の意思について

(1) 建物完成後、米田工務店に支払をした状況については、被告人の四月一〇日付検面調書の供述があるが、右供述は単に何時幾らの金額が支払われたかという客観的事実の記載があるのみで、被告人が自ら米田工務店の請求の内容を認識したうえで支払ったのか、あるいは、被告人自らはこれに関与することなく、病院の経理係に於て、米田工務店の請求通りに支払ったものなのか、全く明らかでない。支払伝票(四月一〇日付検面調書末尾添付)をみると、個人住宅分については院長仮払として処理され病院倉庫への工事代金については建設仮勘定及び未払金勘定として処理されているのであるが、これらの伝票についても、被告人の承認印等は全く押捺されていない。工事代金もそれぞれ数回に分けて支払われており(右同調書末尾添付の領収証参照)、その各々の支払が如何なる状況で支払われたのか全く不明というほかはないのである。

(2) 他方米田工務店例も、右個人住宅の実際の工事代金が幾らかかったのか、さらに旧病棟の代金は幾らかということについては、当時全く積算しておらず、林宗謙の三月一二日付検面調書末尾添付の同工務店の帳簿の写によっても同工務店の経理処理も、籔本秀雄の完成工事高は一一、三〇〇万円(造園工事追加分八〇〇万円を含む)とされ、医療法人阪和病院分は一七、一〇〇万円と計上されているのである。林宗謙の四月三日付検面調書によると、旧病棟の改築工事代金の総額は五七、五七六、〇〇〇円であるというのであるが、右見積り額も、後に国税局の調査の際積算したものであるというのである。もし右見積額が正しいとすれば、当初の右病棟改修の見積額一億二五〇万円との差額は四四、九二四、〇〇〇円となる筋合であり、この金額の範囲内であれば、自宅の工事代金の増加が認められる筈である。したがって、米田工務店としては、最終の支払請求の時迄に旧病棟分につき五七、五七六、〇〇〇円を請求し反面個人住宅分としては当初の見積額一億五〇〇万円に四四、九二四、〇〇〇円を加算して請求すべき筋合であった筈である。しかるに米田工務店側も捜査の段階で初めて右の積算をしたにすぎず、代金請求の時点ではこのような正確な計算を全くしておらず、したがって被告人もしくは法人の方に正碓な代金額を示したこともなかったのである。

米田工務店側の計算によると個人住宅の方の増加分が約五、七〇〇万円であるというのであるから(林宗謙三月十二日付検面一四項)、もしそうであるとすれば前記四四、九二四、〇〇〇円との差額約一、二〇〇万円がオーバーしていることになる筈であるから、この分についてはさらに籔本と交渉をするなり、内部的に値引の措置なりをとらねばならないところであるが、それも全く行われていないのである。もとより、被告人に対し、前記四四、九二四、〇〇〇円を個人の方に廻しておきますよとか、一、二〇〇万円について値引をしておきますよという交渉があったことを認めるに足りる証拠も全くないのである。

(3) 一方被告人としては個人住宅分の支払についても、法人からの仮払金で処理し、支払は一括して法人の経理からなされているから、個人の分として資金を別途準備する必要もなかったため、その内訳について格別意に介さなかったとしても決して不思議ではない。原判決が証拠として採用した被告人の上申書(一)の第三の一の3(四)項(四三頁)によると、この点につき被告人はつぎのとおり述べている。「私はこの工事の代金の支払については経理の方に、私個人の分は、私の仮払にして支払っておくように予め申つけてありました。完成後何日位して請求書が来たのか、その請求書をその時私が見たのかは覚えがありません。私個人への請求が一億一、三〇〇万円であることは、昭和五六年一〇月頃に税務調査があって、その時指摘を受けて初めて知った次第であります。」と述べている。したがって、被告人としては代金支払時点に於て、個人住宅分について幾らの請求が来ているのか、そして、幾ら位当初の金額より増加しているのか、そしてその内容はどうなっているのか等という点については全く知らなかったということができる。

(4) 本件に於て医療法人が米田工務店側からの請求通りの支払をなしたのは、米田工務店の請求を信頼したためであり、米田工務店から個人の分として請求のあった金額については、被告人に対する仮払金として処理し、法人分については、その各勘定科目に応じた経理処理を、全く機械的になしたにすぎず、被告人の前記のような故意が介入する余地が全くなかったものである。

もし本件に於て、米田工務店の側から、正確に個人住宅分と、旧病棟分の工事費をそれぞれ積算して請求しておりさえすれば、法人としては全く機械的に右請求金額に応じた経理処理がなされたであろうと考えられるのである。したがって、本件がこのように問題とされることになった原因は、専ら米田工務店の側の責任に帰するものである。

米田工務店としては田村を通じ、両者の予算の合計額を超えない範囲で個人住宅の方に余計な費用がかかることはよろしいという了解を貰っているのであるから、完成後請求の時点に於てこれを正確に振分けて計算し、それぞれ正確な工事代金の請求をすることは何ら右の了解の趣旨に反するものではないのであるから、当然右の如き正確な請求をなすべき義務があったものとさえ言うことができる。

しかるに、本件に於ては、米田工務店は右の如き正確な請求をすることにつき何らの支障もないのに、両者の正確な工事費すら当時算出することなく、漫然と当初の契約金額通りの間違った請求をなしたために本件の如き問題が生じたのである。本件に於て、被告人に背任の罪責を問うためには、被告人に於て、米田工務店側に右のような実際の工事費とは違う請求をなさしめるため何らかの要請をしたとか、あるいは少くとも右請求が実際の工事費とは異ることを支払の時点に於て認識しながら敢えてその支払に応じたと認定するに足りる事実がなくてはならないところ、本件に於ては、そのような事実を認定しうるに足りる証拠はない。

以上(二)ないし(四)に検討した証拠によっては、本件住宅の建築及び旧病院の改築についての契約を締結した時点から、右工事代金の支払をなした時点迄に於て、被告人が医療法人阪和病院の金で個人住宅の増加費用を支払おうという意思を有していたと認めるに足りる証拠はない。

(五) 被告人の四月二十二日付検面供述について

しかるに被告人は四月二十二日付(二六号)検面調書に於て「田村さんから(中略)旧病棟の方の工事予算と住宅の方の工事予算とを合わせてトータル的に考えて、工事をすればどうだろうかという進言を受け、その結果田村さんにトータル的に考えて工事をしてほしいと頼んだ訳です。その結果旧病棟の工事の予算額のうち数千万円が住宅の工事費用に流用した訳ですが、そういう状況ですから、この流用した数千万円というのは、私が病院から借りたというような仮払金ではありません。したがってその金について、後日返済するというつもりはありませんでした」という供述をし、右数千万円については病院の金を流用したものであることを認める趣旨の供述を行っている。しかしながら右供述はつぎに述べる理由により何らの合理性がなく措信しえないところである。

(1) 右供述によっても、田村の進言を受入れたのは予算を流動的に考えるということのみで、その結果、支払の際にも個人住宅の当初予算超過分を法人に負担させる趣旨のものであったとまで述べているものではない。

(2) しかも右供述は「その結果旧病棟の予算額のうち数千万円が住宅の工事費用に流用した訳ですが」となっており、結果的にそうなったことを認める趣旨にすぎない。しかも「予算額のうち」云々という供述をとってみても、官庁工事のように一定の予算が決められていて、その中の流用という訳のものではなく、当初の契約金額を変更したに過ぎないもので、予算額の流用ということ自体何ら法律的にみて意味のあることではない。

(3) さらに「したがってその金について、後日返済するというつもりはありませんでした」という供述についても、もともと本件捜査で問題になる迄被告人に於て、個人分に幾ら、旧病棟分について幾らが支払われているのか、又結果的に幾らの金額が旧病棟分の支払として過払となり、その分が結果的に個人住宅の分の支払に充当されたことになっていたのかについて校告人に認識があったという証拠はないのであるから、後日返済する、しないという認識もありえよう筈はなく、右供述だけをとらえて、背任の犯意ありとすることはできないといわねばならない。

(4) 捜査の時点に於ては、被告人は、他の犯罪事実を含め、深く悔悟するところがあり、そのために一々の犯罪事実については、特に争わないという考え方になっていたため、本件の事実関係についても、自分の記憶にある具体的事実は正直に述べ、それが背任罪になると言われれば、敢て争わないという心境であったため、右のような極めて抽象的で、とってつけたような供述も捜査官にうながされるまま承認したにすぎないのである。

2 仮に被告人に背任の罪責ありとしても、その金額は五千万円ではない。

(一) この点については控訴趣意書(二九頁以下)に指摘したとおり結果的に個人住宅の方の支払に充てられたとする金額について、関係者の積算結果は一致しない。

(二) 検察官は、神出検事作成名義の四月八日付報告書の結論部分をとり五、〇〇〇万円が最少限度の法人の損害であるとされる。しかしながら、右報告書の結論となった最少限度五、〇〇〇万円とする根拠が明らかでない。山口正明から事情を聴取して作成したとする同報告書添付の計算表によると、総工費二七、一七二万四千円のうち、個人住宅の分として計算された金額は二〇五、三五〇、〇〇〇円となっており、法人分は僅かに六二、六三四、〇〇〇円と計算されている。しかしながら右計算はつぎの証拠に照し明らかに誤りであると考えられる。

(1) まづ本件の当初の請負金額は

(ア) 個人住宅分 一億五〇〇万円

(イ) 法人の倉庫及び管理棟改築費 六四五〇万円

(ウ) 旧病棟改築工事 一億二五〇万円

合計 二億七千二百万円

である。右のうち、工事途中で、工事内容が変更されたのは(ウ)の関係だけで、(イ)は予定通り施行されているのであるから、(イ)の分だけでも前記山口作成の計算表の法人分の金額六二、六三四、〇〇〇円を上廻るのであり、この一点のみからも明らかに右計算は重大な誤りがあると考えられる。

(2) しかも山口作成の表によると個人住宅の建築費合計が二〇五、三五〇、〇〇〇円であるというのであるが、もしそれが事実とすれば、当初の予算額を一億三五万円も上廻ったことになるが、このような計算は林宗謙の三月一七日付、同四月三日付供述調書の記載と大きく喰違うことになる。

(3) また右計算書を基礎として、何故五、〇〇〇万円は下らないと、神出検事が判断したのか、その根拠が全く不明であるのみならず、もし、個人住宅分の工事費が一億円以上も余計にかかっていたのだとすれば、その判断は余りにも恣意的である。

以上の点からみて、右神出検事の報告書記載の結論は措信するに足りないというべきである。

(三) 旧病棟の改築工事費について

(1) 前記のとおり途中で工事内容が変更になったのは、前記(ウ)旧病棟の改築工事のみであるから、右旧病棟の改築工事が幾らかかったかを正確に算出すれば、当初予算額一億二五〇万円から、これを差引いた金額が個人住宅用に廻ったことになる筈である。実際支払われた金額は、当初の請負金額のとおりに支払われている(ただし追加工事分は除く)からである。

(2) ところで、この点については、林宗謙の三月十七日は及び四月三日付供述調書によると、旧病棟の工事見積総額は、五七五七万六〇〇〇円と計算されると供述されている。右金額が正確であるとすれば、当初予算額との差は、四四、九二四、〇〇〇円ということになる。

(3) しかしながら、右林の見績額の正確性については、疑問がある。すなわち、山口正明の四月五日付供述調書第六項によると、右金額の計算は山口が後に国税局の調査の際計算したものであるが、その時には下請業者からの請求書綴などが手許になく、それを見ずにやったものであるから正確なものとは言えないと供述している。

もっとも右山口は、右調書の一〇項に於て、資料を見て大まかな計算をすると、旧病棟の改造工事は四、七六〇万円位が相当だと思う旨供述しているが、その根拠は極めて薄弱で前記見積りと一千万円もの差があり到底措信しうるものではない。

以上の検討により明らかなとおり、結局旧病棟の工事代金が総額何程であったのかという点については、正確な証拠がないと言わねばならない。したがって、旧病棟の建築代金分として支払われた当初契約金額一億二五〇万円のうち、幾らが個人住宅分の支払に充当されたかの点については、正確にこれを知ることはできないと言わねばならない。

(四) よって、仮に被告人に背任の罪責ありとしても、これにより法人に与えた損害の額について証明がないことに帰するのである。

3 名張旧病棟についての建物減価償却費の犯則金額の減少について

前記のとおり、被告人は、請負代金の請求があった当時、個人住宅分の実際の建築代金額は勿論、旧病棟の実際の改造工事代金の金額も知らないまま、米田工務店からの請求の通り支払をなした。経理担当者もその内容を知らないため、法人所有の建物の建築あるいは改造費用として米田工務店より請求のあった金額をそのまま右建物の取得価格として計上し、そのため脱税の犯意がないまま、実際の滅価償却費を過計上する誤りを犯している。そして、本来旧病棟の建物の改造費として何程を計上すべきであるかについては、前述のとおり明らかであるとは言えない。

よってこの分については結局所得税を脱する意思がなかったものであるから、右の減価償却費の過少分については、犯則金とはならないものと思料される。そしてその金額は

(1) 昭和五三年四月一日から昭和五四年三月三一日迄の期につき三、一三一、七三四円

(2) 同五四年四月一日より同五五年三月三一日迄の期につき二、九三一、三〇三円也

(3) 同五五年四月一日より同五六年三月三十一日迄の期につき二、七四三、六九九円也

である(検察官作成の冒頭陳述書添付の修正損益計算書による)

よって、右金額分だけ法人税法違反の各年度の犯則所得金額が減少することとなる筈のものである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例